起業家支援の甘い誘惑に踊らされるな

先週、今週、来週と、横浜ベンチャーポート主催の起業家育成セミナーの講師をやるために、三週連続で横浜まで足を運んでいます。今日はその二回目で、このエントリを書いているのはその往路の新幹線の車中です。僕が担当している講座のテーマはSEOなどのインターネットマーケティングなのですが、それはいいとして、そもそも独立・起業ということについて、またそうしたことを支援することについて、僕はどうしても微妙な心境にならざるを得ません。

というのも、僕もまた独立・起業という経験をした者の一人だからです。僕は現状、おおむねのところ、独立・起業したことをよい決断だったと考えていますし、それによって得たものは大きいと感じていますし、今の状況にもおおむね満足しています。しかし、その経緯を振り返ると、周囲の意見に惑わされて不要な苦労をしすぎた、という感が拭いきれないのです。

一般的に、独立・起業を考えるとき、その目的として次のようなことを、自発的に考えるか、または周囲にそのようなことを考えるように吹き込まれるものと思います。

  • 仕事そのものの楽しさを追求するため
  • 自力で食っていくという充実感を得るため
  • 自分流の仕事がどこまで通用するか試すため
  • 経営者としてのリーダーシップや舵取りに魅力を感じて
  • 後進の育成やマネジメントに魅力を感じて
  • より多くの金を稼ぐことに魅力を感じて
  • より大きな社会的責任を果たすことに魅力を感じて

僕の場合、独立したのは他に道がなかったから仕方なくそうしただけですが、独立した後は、やはり段階的に上のようなことを考えました(またはそう考えていると思いこもうとしました)。実際、独立してごく初期のうちは、仕事をもらえるということや、その結果として報酬がもらえるということだけで、何か自分が認められたような気がして嬉しかったものです。その頃の僕は非常に幸せだったと思えます。

その後、事業が拡大するにつれて、周囲からは法人化や事業規模の拡大を示唆されるようになってきました。その時点ではまだ、上のリストにおける4番目以降の考えは持ち合わせていませんでした。しかし、僕の周囲の先輩社長さんたちは、「事業を運営していく中で、事業の成長と共に社長もまた成長していくのだ。今は高い目標を持てなくても当然」のようなことを口をそろえて言いました。そして、僕もそれを信じました。

ところが蓋を開けてみれば、経営者としての僕、社長としての僕は、まったく成長せず、結果として経営は行き詰まり、僕はやむなく会社を解散しました。倒産しなかったのがせめてもの救い、というくらいの酷いていたらくです。今では会社は僕一人のものになり、事業規模で言えばあるかないかという程度まで縮小しました。

とはいえこれは結果的には大成功で、事業を縮小したことによって、自由に使える時間もお金も大幅に増えて、僕の個人的な暮らし向きは非常に向上しました。自分一人の食い扶持を賄う程度なら、月に6〜7日も働けば余りある(これは事業形態を極限まで最適化した結果なので、そうなるまでの道程はそう平坦なものではありませんでしたが)ほどで、今は悠々と、自由な暮らしを満喫しています。もう二度と、会社の運転資金や従業員に支払う給料をどう工面するか、などということで精神や胃を痛めながら奴隷のように働く生活には戻りたくない、というのが僕の正直な心境です。

そして、僕が現在、過去の失敗を経てたどり着いた「独立・起業の目的」というのは、次のようなものになっています。僕の周囲には立派な志を持った社長さんが多すぎたのでしょう。彼らが僕に伝えた高尚な「独立・起業の目的」(冒頭のリストにあるような)と、僕の現在のそれとの間には、埋められない溝があります。しかし、僕が独立・起業を通じて実現したかったことと言うのは、まさに次の三点なのであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

  • 自由に使える時間が欲しい
  • 世間の誰かしらに、何かしらのことで認められたい
  • 自由なライフスタイルを体現したい

これらは現在の僕がほぼ実現していることで、それを実現できているということについて、僕は自分自身を誇らしく思います。その反面、これほどまでにシンプルな目的であるにもかかわらず、それを導き出すために大きな失敗を経験する必要があった僕という存在には、ほとほと呆れます。また、今になってみれば、自分の理想とすることとは真逆の方向に向かって足掻いていたということにも気付きます。そして、この現在の僕の「独立・起業の目的」のように、自分の人生の理想に根ざした「独立・起業の目的」を教えてくれる人は、僕の周囲には誰一人としていなかった、ということにも問題を感じます。

僕は、この三週間に及ぶ起業家支援のお手伝いをさせていただくにあたって、独立志望者や新米起業家の方には、「社会の奴隷のような社長生活は、あなたにとっての理想の生活と完全に一致しているか?」という点について問いかけ、一考を促したいと思います。起業するのも、それで食っていくのも、実際のところはそう難しいことではないと思います。しかし、少しでも目標を見失えば、社長というものは簡単に、事業拡大や運転資金確保のプレッシャーを受けて、闇雲に消耗戦を戦うようなことになってしまいがちです。目先のことに気を取られて、本来の自分が目標とするものが見えなくなってしまうのです。少なくとも、僕はそうでした。

中には、類い希な努力と才能によって、将来に大きな社会貢献を果たせるような立派な社長もいるかもしれません。しかしそれは、世間にあまた溢れる凡百の起業家からすれば、絶対少数に過ぎないことにも注意を払うべきです。国や自治体が起業家育成に力を入れるのは、有り体に言えば、雇用を創出したり法人の数を増やしたりすることによって、減少傾向にある納税者数(個人・法人を問わず)を補充するという目論見からです。うまく使うのであれば、そうしたものを活用するのもいいでしょう。しかし時には、自分は踊らされていないか、自分のやりたいこととしていることは一致しているか、などということを今一度、考えなおしてみるのも悪くないかもしれません。