あなたは「Zen and the art of 〜」を知っているか?

コンピューターやインターネットの業界では、何か思想的なことを伝える文書を作るとき、ほとんど定型的に与えられるタイトルがあります。それが掲題の「Zen and the art of 〜」というもの。日本語で言うと「禅と〜技術」というところです。

僕のブログを読んでいる皆さんの中にも、例えば Zen and the Art of the Internet を読んでインターネットの基礎を学んだ、という人もいるんじゃないでしょうか。または Art and the Zen of Web Sites で「Webサイトとは何ぞや?」を学んだとか。 で、他にどんなものがあるかGoogleを使って簡単に調べてみたところ、次のようなものが見つかりました。

そんな感じで世界中の技術者たちに愛されてまくっている「Zen and the art of 〜」というフレーズですが、このフレーズの特徴は、最後の「〜」の部分には技術的な用語または科学的な用語(とにかく一般的にひどくスクエアな印象が持たれているもの)が挿入される、ということです。なぜか。

それは、その元ネタがそのようなタイトルだったからです。その元ネタとは「Zen and the Art of Motorcycle Maintenance」。1974年にアメリカで刊行されたロバート・M. パーシグによる長編エッセー(自伝小説っぽい)です。邦訳も以前から売られていましたが、一度絶版になった後、2008年にハヤカワ文庫NFから改訂版となって再版されました。

これが主に北米の技術者たちに大絶賛され、ベストセラー(全世界で500万部)となり、発売から36年が経過した今も「Zen and the art of 〜」というフレーズは技術者たちの間で生きています。例えば「Zen and the Art of Twitter」なんて検索しても、フレーズ一致で33,800件もの検索結果が表示されます。

この本の中で扱われている主題は多岐にわたり、主に、哲学と技術、芸術と技術、心のありようと技術、クオリティとは何か、といった具合。 少しばかり難解で、僕もあまりよく理解できているとは言いにくいんですが、それでも、おそろしく心に残る名著です。

タイトルこそ「禅とオートバイ修理技術」となっていますが、禅に関する直接的な言及はほとんどありません。オートバイ修理技術についても、べつに修理技術の解説があるわけでもありません。この本の中にあったもので、僕の心に残っている点をいくつか(僕の言葉で / ごく一部分だけ)引き出してみます。本当は全文引用したいくらいすべてが大好きなんですが。

  • 工場出荷時には同じものだったはずのオートバイも、時間の経過とともにそれぞれの個体ごとの個性をまとうようになる。それぞれの乗り手の、バイクに対する知識や思い入れの総体が、バイクという存在のうえに具現化し、個性を形成するのだ。よく扱われ、よく整備されたバイクは、乗り手の無二の親友になるが、ひどく扱われたバイクは手に負えない拗ね者になる。
  • 人間の理解には「ロマン的理解」と「古典的理解」がある。ロマン的理解は直感と想像力によるもので、主に芸術を理解する方法として使われる。古典的理解は理性や法則によるもので、科学や技術を理解する方法として使われる。そしてこれらの理解の方法には統一性がなく、しばしば対立するが、その対立は古典的な哲学を理解すれば解消できる。その昔、科学と芸術は同じものだった。
  • オートバイに乗ることは極めて「ロマン的」なことだけれど、オートバイの整備は極めて「古典的」である。そのために、オートバイはロマン的な理解で世の中を見る人々を遠ざけてしまっている。(コンピューターとかインターネットも同じだ)
  • 永遠の古典的な問いに、「その山々の中で神が宿っているのはどの砂粒か」あるいは「そのオートバイの中で神が宿っているのはどのパーツか」という問いがあるが、この問いは理解を誤った方向に導いてしまう。なぜなら神はいたるところに遍在しているからだ。しかし一方で、その問いは理解を正しい方向にも導く。なぜなら神はいたるところに遍在しているからだ。
  • 作業を行う上で最も必要なことは「心の落ち着き」である。心の落ち着きなしに作業すれば、その心の乱れは成果物の上に具現化してしまう。成果物がきちんと機能しているなら、心の落ち着きがそこに具現化しているということだ。また、作業をきちんと行えば心は落ち着くし、適当に行えば心が乱れる。心の落ち着きと望ましい成果は切り離すことができない。
  • 技術的作業における「心の落ち着き」は、決して表面的なものではなく、本質的なものである。すべての作業は、スムーズに利用できるという利用者の心の落ち着きを目的としており、利用者が安心できない成果物は悪い仕事である。また、悪い仕事をしないために、技術者は品質管理や仕様書作成や計測や点検などをするが、これらは作業者に心の落ち着きをもたらす。
  • 作業に行き詰まったときにも、必要なのは「心の落ち着き」である。あらゆる方法で取り組み、テストし、それでもうまくいかないとき、心の落ち着きを取り戻さなければ、打開策は生まれない。しかし、従来の科学や技術は、心の落ち着きを取り戻す方法までは教えてくれない。
  • 問題に直面し、行き詰まったときというのは、恐怖の瞬間ではなく、むしろ心を空にし、初心や柔軟性を取り戻すためのチャンスであり、啓発の瞬間である。禅の修行僧は、公案や座禅に取り組むことによって自ら行き詰まりを招き寄せ、このチャンスを獲得しようとしている。
  • 最もクオリティの高い仕事は主客一如の状態で生み出される。極限まで集中し、内なる心の落ち着きを高め、無我の状態にあるとき、対象は客体ではなくなり、主体である作業者との境界も曖昧になる。激戦の兵士、献身的な登山者、精緻な加工をする熟練工、鑿を使う彫刻家、演奏中の音楽家、修行中の僧、タイムを削るレーサー、これらの境地には主体も客体もない。
  • 「手際がいい」「名人である」「勘所を知っている」「急所をつかんでいる」といった言葉は、主客一如を体得した人々の仕事に対してよく使われる慣用表現だが、残念ながら技術用語にはこれに類する言葉はほとんどない。それは、技術的思考を持った人々が二元論の中に生きていて、主客一如を理解しようとしないからである。

きりがないのでこの辺でやめておきますが、こんなの全体からすればほんの一部分に過ぎず、何よりも最大のテーマであるところの「クオリティ」についての議論を敢えて外してあります。なにせきりがないので。

とにかくこの本は、作業者としての僕に最も大きな影響を与えた本で、以前に旧版を読んでいたのに、新販を発売と同時に買い求めたほど溺愛している本です。今も作業で手詰まりを起こしたときには手に取るので、いつも机の上においてあります。最低でも4回は通読しましたし、手に取った回数は数えきれません。僕のバイブルです。

もし、ちょっとでも気になるという人がいたら、ぜひ手にとってみてください。きっと新しい世界が開くはずです。技術系の人はもちろんですが、日々アートとテクノロジーの間で頭を悩ませているWebデザイナーの人たちにもおすすめです。世界中で今も愛されている沢山の「Zen and the art of 〜」の元ネタ、読んでおいて損はないと思います。