驚きました。書店で何となく手に取った「金持ち父さん貧乏父さん」です。この本が世界中で売れまくったことも知っていましたし、日本でもかなり話題になったことも当然知っていました。だからこそ、この本には、何というか少し嫌らしい感じの、金銭至上主義的な、いかにもペテン臭い感じの先入観があって、今まで見向きもしなかったのです。実際にWeb上を見渡しても、「不労所得で金持ちになる」とかいいながら可処分時間の大半をアフィリエイトに費やすような本末転倒なお寒い人々が、この本や同種の「金持ち父さん」関連本や関連グッズ(いっぱいあって驚きです)を熱心に紹介しているのを頻繁に目にしますし、そうした人々を見る限り、この本からは特に学ぶべきものはないと考えるのは、そう不自然なこととも思えません。しかし実際に手に取ってみると、300ページ弱ものボリュームの中に小さな文字がびっしりと詰め込まれたこの本は、イメージしていたような安っぽい本ではありませんでした。かなり面白い本で、先入観から手に取ることさえしなかったことを非常に後悔しました。
この本の中では最初に、「資産」と「負債」の考え方を整理します。ここでの考え方は、一般的な会計における資産と負債とは定義からして違うのですが、より実際の感覚に近いものといえます。その定義は非常にシンプルで、以下のようなものです。
- 資産は私のポケットにお金を入れてくれる
- 負債は私のポケットからお金をとっていく
金持ち父さん貧乏父さん p96
つまり、ポケットにお金を入れてくれるもの(つまりここでいう資産)を増やし、ポケットからお金をとっていくもの(つまりここでいう負債)を減らすことで、金持ちになれる、というわけです。ここでは、借金して買った持ち家や、不必要に高級な乗用車なども負債として数えられます。それらは支出を増やし収入を生まないからです。反面、自分がそこにいなくても収入を生み出すようなビジネスや、貸し出したり投機したりするための不動産などのように、労働をともなわずに収入をもたらすものを本当の資産であるといい、それらの所有を勧めます。非常にストレートな割り切りです。
しかし一方では、借金してでも持ち家に住んだり、分不相応な高級乗用車に乗ったりするようなことが、見栄や思い出のようなある種の精神的満足に属する価値を提供してくれる、ということも真実かもしれません。しかし、その結果、金銭と自由を共に失うのであれば、家や車を買うことと買わないことで、どちらが豊かでどちらが貧しいことなのか、僕には判断できません。僕にとってはむしろ、家や車に縛られて自由を失う生活のほうが、ずっと貧しいものに感じられるのです。この意味で、この本が提供している価値観は、僕には割としっくりきました。
そもそもこの本の中で語られている「金持ちになる」というのは、贅沢をしたり不要な蓄財をしたりするようなことではなく、もちろん楽して儲ける、といったこともありません。この本に書かれているのは、多くの人が陥っている悪循環、つまり、お金がなくなって各種の支払が滞ったりすることへの恐怖から働き、働いたら働いたで今度はリストラや事業不振などで仕事がなくなることへの恐怖からさらに働き、その間ずっと資本家や投資家や政府に搾取され続け、銀行に金利を支払い続け、余ったわずかなお金で目先の幸福や見栄のための消費をし、一生涯を金銭的にも精神的にも貧しい状態のまま過ごす、といった悪循環から逃れ、自由を得るための考え方と方法についてです。
こうした、お金や労働に関する考え方については、僕は故青木雄二氏の作品群から多くを学んだつもりでいましたが、どうやら十分ではなかったようで、今回「金持ち父さん貧乏父さん」を読みながら、何度も、なるほど青木氏が伝えようとしていたことはこういうことか、と理解を深めることができました。この本は、青木氏の著作(もちろん代表作は「ナニワ金融道」です)と同様に、お金や労働に対する知見を広げながら、さらに読み物としても楽しめるという、一粒で二度美味しい本だと感じました。多くの読者をつかんだ理由を推測するという意味でも楽しめますし、ベストセラーはどんなものでも選り好みせずに一通り読んでおくべきだと、認識を新たにしました。
# もちろん、これを読んだからといってお金持ちになれるわけではないのは、多くの読者を見れば明らかです。