暴動が起きた西成の釜ヶ崎あたりというのは、僕が住んでいる堺市北区からすれば、地理的に言ってそう遠いところではありません。しかし、今日僕が書こうとしているのは、別に地理的な近接についてではなく、時間的・精神的な近接について。
今回の暴動発生を受けて、ネット上には様々な感想や考察が生まれていますが、しかし、その大半は遠い世界の話のようで、あまり実感が伴っていないように見えます。でも、僕にとっては、釜ヶ崎も、ドヤ街での暮らしも、そう遠い世界の話とは思えないんです。
僕は今年で37歳になりますが、今までの職務経験の大半はフリーターとフリーランスで、正規の被雇用者としての経験なんてほとんど持ち合わせていません。そんな僕が、数年後に失職、または食い詰めたとしましょう。その時の年齢はおよそ40歳前後くらい。
そうなってしまえば、40歳くらいでまともな職務経験を持たない僕なんて、正規雇用はおろか、非正規雇用ですら、定期的・安定的な仕事を得ることは困難でしょう。もしかしたらその時には、健康だって失っているかもしれません。きっと僕はドヤに落ち、おそらくは二度と這い上がれないでしょう。
そもそもドヤに落ちる前に、食い詰めることがなければいいのかもしれません。仕事さえ選ばなければ正規雇用されるのは難しくない、などという人もいます。しかし、仕事さえ選ばなければ云々というのは、若いときの話にすぎません。特段の職務経験を持たない中年男性にとっては、一度でもあぶれてしまえば、再起の道はほとんど閉ざされているのが現実です。
僕が今までドヤに落ちることなく生きてこられた理由は、単に「若かったから」というだけ。若ければ再雇用はそう難しいことではありませんし、少々のことではへこたれないだけの体力もありますから、釜ヶ崎は遠い世界のように思えるかもしれません。でも、これからは違います。すぐそこに釜ヶ崎が迫っているのです。
加えて、僕の世代は第二次ベビーブーマーに該当しており、同世代の人間は余っています。これだけ高度に発展した経済圏の中で、今もなお人間の数と同じだけ仕事があるなどという甘い考えを持てるほど、僕たちは楽な人生を歩んで来てはいません。
いつだって僕たちは、人の数よりも学校のほうが少なく、人の数よりも就職口のほうが少ない中を生きてきました。自分だけは余ってしまうことがなく、今日と同じように明日も生きられると思うほど、僕はイカレてはいません。現実問題、僕は今までだって、人生の中のけっこう多くの期間を、余り物として過ごしてきたんです。今はたまたま食えてる、ってだけのこと。
そんなこんなで、釜ヶ崎ってのは、僕にとっては別の世界なんかではなく、予期できる近しい明日の世界であり、すぐ隣の町です。
でも、言いたいのは、そう悲観的なことでもなくて、いずれ行き着く場所が釜ヶ崎だということをよく認識していれば、結構いろんな冒険ができるよ、ということです。釜ヶ崎に行く前にやっておきたいことがたくさんあるんだから、今は躊躇せずにそれらを目一杯やっておけばいいんです。釜ヶ崎に帰らずに済んでいる今のうちに、できることというのはきっとたくさんありますよね。