実在の「因幡堂」で狂言「因幡堂」を観る

因幡堂(京都市下京区因幡堂町・平等寺)は浄瑠璃の発祥の地ともいわれており、室町時代から猿楽が奉納上演されてきました。江戸時代には因幡堂芝居と呼ばれる歌舞伎も上演されてきました。また「因幡堂」「鬼瓦」「仏師」「六地蔵」「金津(金津地蔵)」といった狂言の曲目の舞台でもあります。

因幡堂の扁額

このように演劇や芸能と関係の深い因幡堂ですが、明治時代初期に狂言が上演されたのを最後に、演劇や芸能の奉納は途絶えてしまいました。因幡堂の芸能文化との関りは記録には多く残されておりますが、因幡堂で行われる行事としては長らく消滅したままでした。その因幡堂にて、平成19年4月29日に、野村万作氏らを招いて因幡堂狂言の公演が実施されました。

今回の因幡堂狂言が実現した経緯としては、去る平成15年(2003年)5月5日に一度だけ、因幡堂開山千年法要に際して因幡堂で狂言を上演したところ大盛況で、これを続けてほしいとの声が全国の狂言ファンから多く上がったことを受けて、再び因幡堂狂言を復活させることとなった、というものだそうです。

平等寺(因幡堂)のご住職である大釜諦順さんが音頭を取り、先だってのエントリ「林和利 教授による『狂言における因幡堂の位相』全文」で紹介した林教授がサポートして、この夢の公演が実現し、僕も実行委員の一人として、ほんの少しだけお手伝いをさせていただきました。

演目は因幡堂を舞台とした二曲、「因幡堂」と「仏師」で、因幡堂を舞台とする狂言を、実際の因幡堂で観る、という趣向です。決して大きいとは言えない現在の因幡堂ですが、その中に仮設のものとしてはかなり立派な能舞台と、230席ほどの観客席が設営され、満員の観客をお迎えすることができました。

舞台と客席

客席狂言会の公演は、因幡堂の大釜諦順 住職の挨拶で幕を開けました。住職の挨拶では、因幡堂は西暦1003年に橘行平卿により開基され、それから100年以上後の1171年に、現在に伝わる寺号「平等寺」を高倉天皇より賜ったという因幡堂の歴史が語られました。

大釜諦順ご住職

この因幡堂、寺号である「平等寺」と呼ばれたり、ご本尊の称名である「因幡薬師」と呼ばれたり、お堂を表す「因幡堂」と呼ばれたり、といった具合で様々な呼び方がされるのですが、簡単に整理すると、以下のような感じだそうです。

  • 997年に橘行平が因幡の国の海中から薬師如来を引き上げたのを起源とするため本尊は「因幡薬師」と呼ばれる
  • 1003年の開基から因幡薬師をまつる本堂は「因幡堂」の名で呼ばれる
  • 1171年に高倉天皇より「平等寺」の寺号を賜り、平等寺の寺号で今に至る

最も長い間、お寺の呼び名として通ってきたのは「因幡堂」だそうで、その「因幡堂」の呼称が数々の狂言に使われているというわけですね。そして「仏師」と「因幡堂」の上演。

仏師の一幕

因幡堂の一幕

さて最後に下の写真。かの野村万作氏と僕のツーショットです。これは公演終了後の茶話会の席で撮影したもので、僕の中では記念すべき一枚です。

野村万作先生と僕

舞台上では大きく見えた万作先生ですが、お隣に座ってみるとその小柄さに驚きました。

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