今やプロフェッショナルである必要はなくなった

プロフェッショナルは利潤を追求します。その意志決定や行動は利益に結びつくか、より効率的に利益を生む方法はないか、などといったことが、プロフェッショナルの思考法であり、行動原理です。そして今のところ、利潤の追求とは無関係にそのことを楽しむ人々はアマチュアと呼ばれます。簡単にまとめれば、次のようになるでしょうか。

  • プロフェッショナルは利潤を作る
  • アマチュアは作品を作る

まあ、今まででしたら、「やっぱプロって格好いいよね」「俺もプロを目指そう」という感じでよかったと思います。資本主義社会ですし。しかし現在、今の時点で、本当に格好いいのはプロフェッショナルでしょうか? 僕たちが目指すべきものはプロフェッショナルなのでしょうか? 僕は何だか違うような気がするんです。次のものを見てください。

  • Wikipedia のコンテンツを作っている人々はその編集作業に対する直接の金銭報酬を受け取っていない
  • オープンソースのプログラマーはその直接的な対価としての報酬を受け取っていない
  • ほとんどのブロガーはブログから得られる収入だけで生活しているわけではない

Wikipedia の編集者や、オープンソースのプログラマーや、大多数のブロガーは、目に見える利潤は作っていません。誰が見ても、旧来の価値観ではアマチュアに属する行為をしています。それでも、上記の人々はコンテンツやコードを生み出し続けます。目に見える利潤を生んでいないからといって、それらのコンテンツやコードが価値のないものだという人はいないでしょう。むしろ、多くの人がその価値を認めているのではないでしょうか。

金銭的な報酬の多寡とは関係なく、価値の高いものを作り出す人々が、現実に多数存在しているのです。そして彼らは間違いなく格好いいし、賞賛や尊敬を集めてもいます。オープンソースのプログラマーなどはその典型でしょう。この意味では、「収益性だけを追求するプロフェッショナルな仕事」よりも、「収益性を度外視したアマチュアな仕事」のほうが格好よく、より賞賛や尊敬を集めているように映ります。

そもそも WWW は、アマチュアイズムに支えられてきたと言っても過言ではないはずです。その創成から現在の発展に至るまで、その成長を支えてきたのは、システムの面でもコンテンツの面でも、アマチュアが生み出してきたものだったという風に考えることができるのではないでしょうか? 今はやりの CGM とかソーシャルメディアとか(または Web 2.0 とか)いうものを持ち出すまでもなく、WWW の主役は一部のプロフェッショナルではなく、大多数のアマチュアでしょう。

前世紀末くらいまでの社会基盤のほぼすべては、プロフェッショナルたちによって作られてきた、というのは確実です。生産者しかり、政治家しかり、官僚しかり、軍人しかり、資本家しかり、企業戦士しかり。すべてプロフェッショナルの仕事です。前世紀末くらいまでは、プロフェッショナルたちが働くことで、ほぼすべての社会基盤が作られてきましたし、彼らは尊敬の対象でした。しかし今世紀に入る少し前から、インターネットの周辺からルールが少し変わってきました。

  1. 誰でも低コストで自分の作品を作れるようになった
  2. 誰でも低コストで自分の作品を発表できるようになった
  3. 誰でも低コストで他者の作品を利用し、評価できるようになった
  4. 誰でも低コストで他者の作品に対する評価を共有できるようになった

こうした変化によって、従来あまり評価されることのなかったアマチュアの作品が評価されるようになってきたのです。従来なら、人を評価する際のわかりやすい基準は「どれだけの利潤をもたらしたか」ということだったかもしれません。しかし今では、「どれだけの賞賛を浴びているか」という目で評価することもできるようになってきました。

僕たちは、必ずしもプロフェッショナルである必要はなくなったのです。もちろん今でも、プロフェッショナルは賞賛や尊敬を集め、正当に評価されることに変わりはありません。しかし、誰もがプロフェッショナルを目指す社会ではなくなったのではないかと僕は思います。少なくとも僕には、プロフェッショナルに働きながらもアマチュアを目指す、といった社会になりつつあるように思えます。

というわけで、僕は、まだまだプロフェッショナルの域から出られていない部分も多々ありますし、なかなか全面的に脱出するのは難しいという現実もありますが、全力でアマチュアを目指します。パッケージ製品よりベータ版サービスのほうが楽しそうですし、プロフェッショナルよりアマチュアのほうが楽しそうじゃないですか?

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