女性による言葉の暴力に殺された男たち

少子晩婚化、帰宅拒否症候群、熟年離婚、セックスレス、中高年の自殺者や蒸発者の増加、無力な幼女に対する性犯罪の増加、などといった社会現象が話題に上りがちな昨今ですが、僕は以前から、こうしたことの遠因の一つには「女性による言葉の暴力」というのがあるのではないか、と考えてきました。今日はこれについて少し書いてみます。

以下は、ある架空の妻帯者をモデルに、日常の風景を書いてみたものであり、実在する人物や団体などには一切の関わりはありません。あくまでも僕個人の主観に基づく言説であることをご了承ください。またこのエントリを「既婚者の愚痴」であると理解された方が多いようですが、僕は未婚でありあくまでフィクションですのでひとつよろしく。


出勤前、寝起きで不機嫌な妻が次々に繰り出してくる小言を聞きながら朝食を摂り、「美味しかったよ、ありがとう」の言葉を残して家を追われるように出勤。日中は高圧的な上司の小言に耐え、部下の世話を焼き、リストラに怯えながらハードワーク。昼食は社食かファーストフード。働けど働けど報酬は上がらず、たまに挙げた実績はすべて上司の手柄になり、自分が自分として認められることは稀。しかし、それもこれも家族のため。耐える他ありません。

帰宅前には、帰宅後に待ちかまえる妻への怯えが頭をもたげてきます。帰宅後に想定される妻の攻撃とは以下のようなもので、夫こそが諸悪の根源であるかのように、絶え間ない愚痴を聞かされ続けます。中には夫が非難の対象になっていないものもありますが、いずれにしてもその愚痴を聞いている人物は夫の他になく、夫としては自分が攻撃されているとしか感じられません。

帰宅時間の遅さへの不満、家事負担の大きさへの不満、暑さや寒さへの不満、社会情勢への不満、隣人への不満、近所のスーパーの品揃えの悪さへの不満、電車内で出会ったマナーの悪い客への不満、自宅の狭さへの不満、所有する家電品の貧弱さへの不満、子供の成績不振への不満、テレビ番組の不快さへの不満、収入面への不満、将来への不安、欲しいものが買えないことや旅行に行けないことなどへの不満などなど。

夫は、帰宅後に毎日のように繰り返されるこの風景を想像するたびに、少しずつですが確実に、帰宅意欲を減退させます。この結果、夫は無為な残業をし、行きつけの飲み屋でわずかな小遣いを浪費し、コンビニや漫画喫茶を経由して深夜に帰宅。そしてまたいつもの夜が始まります。「あなたはいつもそう。家庭や私のことなんか何とも思っていない」などの中傷を、疲れた体に鞭打ちながら甘んじて受け、男らしく反論を押し殺し、すべての感情を睡眠薬とともに焼酎で流し込んで奈落の底に逃げ込むかのように就寝。翌日はまた悶々とした気持ちを引きずったまま仕事へ。

そして休日。粗大ゴミのように扱われた男は外出の口実を探します。そしてやっと見つけた外出の口実を口にすれば、「どこへ行くの?何時に帰ってくるの?いったい何にいくら使うつもり?」といった妻からの詮索。挙げ句の果てには、謂われのない浮気の嫌疑までかけられ、不要なエネルギーを消費。さて出かけようとオフ用の服を探すも、お気に入りのスラックスが見つからず、妻に尋ねると、妻は鬼の首でも取ったように「いつもの場所にしまってあるわよ。いったいいつになったら覚えるの? まったくダメな人ね。記憶障害?それとも認知症?」

たまに反論を試みようにも、妻のイヤミや罵倒は決まって論理的なものではないため、論理的な反論や解決策の模索は意味をなしません。たいていは、金切り声を上げて罵倒の言葉を浴びせる妻の前に、男はただ黙り込むだけ。妻の発言はひたすら攻撃的で、論理的整合性はかけらもなく、しがたって男に反論や論説の余地はありません。理論の問題ではなく感情の問題ですから当然です。あげく、目下の問題とはまるで無関係の、はるか過去の問題にまで妻の話は飛躍し、さらなる理不尽な攻撃が続きます。そういうとき、男にできることなど何もありません。黙ってうつむき、嵐が過ぎるのをただただ耐えて待つだけです。ストレス、ストレス、ストレス。

意を決してカウンセラーだの心療内科医だのに相談すれば、「妻の苦情を聞くのは夫の役目です」という心ない言葉。「妻の言葉によく耳を傾け、共に問題を解決するように努めましょう」などという教科書通りのご高説を拝聴。そんなことよりも、気持ちが落ち着く薬をいただけませんか? 今の精神状態では会話すらできないんです。それからもしよかったら、少しでも意欲が回復する薬を処方していただけませんか? 私は自信を取り戻したいだけなんです。ちゃんと仕事をし、家庭生活を送れるだけの気力を養いたいだけなんです。すべては私の努力不足に起因していることなんですから、それを何とかしたいんです。

少なくとも男女関係において、男性の努力が報われることは滅多にありません。「いつだってあなたは、私を奴隷か虫けらのように扱うのね」何かあれば妻は口にします。実績などは一切考慮されません。ちょっといい店での食事に招待したこと、住居のトラブルを慣れない大工仕事で解消したこと、旅行に連れて行ったこと、少ない給料のすべてを妻の管理下に置いていること、疲れた体と心に鞭打って毎日妻の小言に付き合っていること、的確なアドバイスと行動で困難を乗り越えたことなど、それらの努力や実績は、女性にとっては当然のことであり、男性の義務であり、男として当然のことであり、それらが履行されなければ減点の対象にはなりうるものの、履行したところで評価の対象にはなり得ません。

「ちょっと手伝ってよ」という妻の言葉に従って家事を手伝おうものなら、「私には私のやり方や段取りがあるの。余計なことをして足を引っ張らないで、あっちへ行っててくれない?」という理不尽な叱責。そしてその言葉を額面通りに受け取り、いそいそと持ち場を離れれば、「あなたは一切何も手伝ってくれない。私は女中か召使いのようなものだわ」という中傷の言葉。曰く、何をやらせてもマトモにできない、食器の洗い方が気に入らない、掃除ができない、食べ方が気に入らない、返事の仕方が気に入らない、だらしない、汚い。どうせ仕事でもそうなんでしょ。私は生理でつらいのよ、ちょっとは気遣ってよね。男はサンドバッグであり、働きバチであり、女性のストレスの受け皿であり、ご機嫌取りの道化であり、熟年離婚までの耐用年数しかない消耗品に過ぎません。

家庭内でのこうした男性に対する過小評価や誹謗中傷の連続は、男の自己肯定感を容赦なく減退させます。逆撫でされた神経が休まる時間的猶予はなく、当然、仕事にも人付き合いにも支障をきたし、精神も肉体も変調をきたします。その結果、仕事上の評価は更に下がり、疲れやすくなった体は不調を続出させ、すべてが悪循環へとはまりこんでいきます。そしてそうしたことは、妻にさらなる攻撃の口実を与えます。「あなたがそんなだから私の苦労は絶えないのよ。何よこの少ない給料は。こんな人のところに来るんじゃなかった。もうちょっとしっかりしてよね」 仕事も家庭も人付き合いもうまくいかなくなった男は、完全に逃げ場を失います。もはやすがるべきプライドなど、便所のスリッパほども残されていません。

妻のご機嫌を取ろうと褒め言葉をいくら口にしようと、妻のご機嫌を取るためにいくら時間や金銭を消費しようと、女性にとってはそんなことは男性たるものの当然の行動であって、評価の対象になるどころか、日頃の言動とのギャップを非難され、浮気を疑われ、隣の青い芝生と比較され、気味悪がられ、卑下され、糾弾され、あらぬ深読みをされ、非難され、罵られ、聞くに堪えない金切り声で罵倒され、イヤミの波状攻撃を浴び、容赦なく、完膚無きままにこき下ろされます。「誰か他の女でも連れてきて私の代わりでもさせるといいわ。私はここで生活するのはもうイヤ」妻に対する夫の気持ちが、これ以上ないくらい萎える瞬間です。神経を逆撫でする妻の言葉に耐えながら、男たちは冷たい決意を固めます。

そうした日々を過ごし、ついに我慢の限界を迎えた男の一部は、さんざん女の特権である言葉の暴力や金切り声や涙を利用し続けた妻に倣って、男の特権である腕力に訴えて地位の挽回を狙うのでしょう。世に言うDV、犯罪です。その行く末は、離婚と莫大な慰謝料請求、そして社会的経済的地位の失墜と、立ち直れないほどの精神力の消費。男は何もかも失うのです。しかし現状、妻による言葉の暴力が罪に問われることはありません。

暴力の行く先が妻ではなく自分自身に向かったならば、事はもっと悲惨です。暴力の矛先が自分自身に向かってしまった男の行く末は、樹海の巨木の枝に吊り下がる奇妙な果実となるか、ビルの高層階から鳥になって羽ばたくか、JR中央線と力比べをするか、東尋坊からダイブして日本海の魚たちのエサになるか、ネットで知り合った見ず知らずの若者たちと共に目張りされたワンボックスカーの中で心地よい眠りにつくか、半年間貯め続けた向精神薬をツマミに一切の不安のない酔いの世界に旅立つか、血に染まったバスタブで天にも昇るほどのリラックスを味わう、といったところでしょう。

暴力傾向が妻にも自分にも向かわなかった場合には、帰宅拒否症が高じて帰宅しなくなり、そのまま蒸発、ホームレスへ、という安息の場所を求める旅路が待っているのでしょう。「あの人は自分勝手で弱い精神しか持っていなかったのよ。自業自得だわ。心の弱い男って最悪ね」

しかしそれでも、サラリーマンならばまだ良いでしょう。少なくとも平日の日中は、妻のことを忘れて過ごすことができます。しかし、自宅勤務の自営業者やフリーランスや開業医などであれば、文字通り心の安まる暇はありません。己を殺し、酒と薬に頼り、事業は斜陽となり、家族には疎んじられ、負債ばかりが積み上がり、より悲惨な末路が大きな口を開けて待ち受けています。男は静かに、自分一人で下した暗く冷たい決定に従うのみです。この図式は、定年退職者にも当てはまるかもしれません。


こうしたことは、何も中高年男性だけの問題ではありません。若年層においても同様です。ちょっと面白い文章があったので、少し長くなりますが引用してみましょう。

あくまで印象論だが、日本の男性、特に若年層の男性の中に、自分に対して自信をもてないでいる人がかなりいるように思う。自分にはたいしたことはできないのではないか、自分は周囲に溶け込めていないのではないか、自分は女性にもてないのではないか、自分は(以下略)。もちろん、自己イメージが低いのは男女問わず日本人の特徴で、それが日本男性がほめないからかどうかは別として、日本女性の中にも自信を持てなかったりする人はたくさんいる。でも、マスメディアやネットなどにあらわれる言論のたぐいなんかを見てると、女性に対する励ましに比べて男性に対する励ましはずっと少ないみたいだし、女性が書いたものに比べて、男性が書いたもののほうが、自己肯定的な要素がずっと少ないように感じられるわけだ。

そういう差がどこから来るんだろうというのは正直よくわからないが、私としては、「日本男性に自信がないのは、女性のせいでもある」と主張してみたい。よしあしは別として、社会環境的には男性のほうが明らかに厳しい競争にさらされている。当然、誰もがトップランナーになれるわけではない。それでも、女性(たった1人でも)から評価されていれば、それなりに自信を保って、努力を続けていけるものなのではないか、と。しかし、日本男性はほめられない。徹底的に、ほめられない。代わりに、叩かれる。けなされる。笑われる。無視される。繰り返し、手を変え品を変え、執拗に、徹底的に。個別論で「自分はほめてる」という女性の方も少なくないだろうが、総体として日本の男性は「ほめられてる」とは感じていないのではないかと思う。

本人たちが何というか知らないが、いわゆる「二次元」の女性に惹かれる男性の中には、そういった経験から、「三次元」の女性との関係を構築することに絶望したりしている人がかなりいると思う。それは男がひ弱でだらしないだけじゃないか、と思った方、それだ。それこそ、日本女性が日本男性に対してとる典型的な態度だ。日本の男性が「男性をほめるのは女性の仕事」と主張しないのは、そういう主張に対するタブー感(男たるものそんな弱音を吐いてどうする的な)だけでなく、ある種の「絶望」と「無力感」(どうせそんなこといったってわかってもらえるはずないよな的な)みたいなものがあるからではなかろうか。

H-Yamaguchi.net: 「男性をほめるのは女性の仕事」と言ってみるテスト

視点を若年層に向ければ、僕が中高年の事例として挙げた冒頭で挙げた晩婚化、帰宅拒否症候群、熟年離婚、セックスレス、中高年の自殺者や蒸発者の増加、無力な幼女に対する性犯罪の増加、といったことに加えて、若年層においては、コミュニケーション不全、ワーキングプア、少子化、萌えキャラ愛好、ニート、といったことがらの遠因の一つにも「女性による言葉の暴力」が見え隠れしているようにも思えます。現代の男たちは、搾取され、消費され、プライドを踏みにじられ、心を殺し、希望のない毎日を生ける屍のように過ごすことを義務づけられているのでしょう。ああ、この美しい国、日本。

「女がいなかったら、男は神のように生きていくだろう」と言ったのはデッカーですが、現実には男と女の両方が存在しています。男は神のようには生きられません。そして多くの男性は、女性の前に哀れな道化を演じ続け、ストレス発散の格好の的となり、使い古されたボロ雑巾のように死んでいくのでしょう。

こんな事を書くと「私は違う」という女性たちの非難を浴びそうですが、おそらくすべての女性は、あなたと同様に「私は違う」と思っていらっしゃることでしょう。その自信はどこから湧いてくるのでしょうね? 残念ですが、おそらくあなたも同類です。夫や彼氏の意見を聞いてみることをお勧めします。萎縮しきった彼らからうまく本音を引き出すことができるかどうかは、保証の限りではありませんが。

ともあれこれは、未婚者(とはいえもう35歳ですが)の僕が、周囲の状況(諸先輩方など)を見るにつけ実感していることです。未婚者の僕ですら、結婚に夢を持つことができない現実がここにあるのです。そして、多くの男性がこのように感じている限り、晩婚化や少子化の傾向にはいっそうの拍車がかかっていくのでしょう。少なくとも僕は、四六時中続く罵倒の中休み程度に「あなたを信じている」とか「あなたが好きだ」などという言葉を聞いたとしても、馬車馬を働かせるために鼻先にぶら下げるニンジンのようにしか感じません。

この日本において、未婚であるか既婚であるかに関わりなく、僕をはじめとする男性たちが、結婚や家庭生活に夢を見られる未来は来るのでしょうか? 男女が真の意味で平等に、お互いを尊敬しあえるような未来を、僕は望んでいます。さもなくば、女性のいない人生を。


いつもの僕のエントリとはかなり趣の異なるエントリを書いてみたところ、なんだか予想を遙かに超える反響をいただきました。まあ、人間関係においてはどんなことにも原因と結果があり、トラブルの原因を誰か特定の人(たとえばステレオタイプ的な「男」とか「女」とか「上司」とか「部下」とか)に帰せるべきではないというのも当然のことでしょう。女や上司が高圧的になることの遠因は男性や部下にもある、というのも一理でしょうし、その逆もまた真、というわけです。勉強になりますね。

そんな中、この僕のエントリにおけるDVに関する言説に違和感を覚えた、または反論された方などが多くいらっしゃるようですが、どうも僕には認識が甘すぎるように思えます。その方たちには、知見を広めるためにも「DV(ドメスティック・バイオレンス)防止に向けた取り組みの男女不平等」の全文をご一読することをおすすめします(本当なら全文を引用したいくらいです)。これを読めば、あなたの世界は音を立てて変化することでしょう。「DV=男が悪」というステレオタイプにはまりこんだ硬直志向の方々にとっては、よい薬になるのではないかと思います。保存用には見やすいPDFもあります。さらにデータを追加します。

「夫」に八つ当たりする妻、「モノ」に当たる夫
ストレスを感じたときに、男性は54%が八つ当たりをしないとしているのに対し、女性はしないのは20%に留まり、8割の人は八つ当たりをすると回答しています。また、女性の八つ当たりをする相手のトップに「配偶者(だんな)」(53.6%)が挙がる一方で、男性は「モノにあたる」(40.5%)がトップとなっています。 この結果からも、先ほどの「耐」える夫と、「怒」る妻の様子が伺えます。
性別自殺死亡数(平成15年)
  • 男性 – 23,396件
  • 女性 –  8,713件
  • つまり男性の自殺率は女性よりも約2.7倍高い
日本人の平均余命(平成17年)
  • 男性 – 78.53歳
  • 女性 – 85.49
  • つまり女性の平均余命は男性よりも約7年ほど長い
主要死因別にみた性別死亡数(平成17年)
  • 男性の老衰による死亡数 –  6,683
  • 女性の老衰による死亡数 – 19,677
  • つまり老衰に至るまで生存する女性は男性の約3倍ほど多い

これを世の男性たちはどのように読み取ればいいんでしょうね? 生物学的に見て女性の生命力は男性のそれよりも高い、というのは既知としても、釈然としないものがあります。先に紹介した「DV(ドメスティック・バイオレンス)防止に向けた取り組みの男女不平等保存用PDF版)」と併せてどうぞ。これを読むと、世の男たちが妻の言葉の暴力に対し、心を殺し、プライドを消し、己を滅し、石のように静かに、堪え忍んでいる姿が目に映るかと思います。

あくまでも憶測に過ぎませんが、事件化するDVの被害者の多くは女性でも、実際に起きているDVの被害者には少なくない数の男性が含まれているのではないか、という風に考えられなくもありません。もし、男性であるあなたが妻からの暴力を受けたとして、それを警察に届けますか? 男子たるもの、そんなみっともないことはしないでしょうね。また、男性被害者を受け入れているDVシェルターがそれほど多くないことも想像に難くありません。少なくともわかることは、男性に対するDVの実態は闇の中、ということだけです。