僕がネガティブコメントに喜んでしまう5つの理由

ブロガーの中には、ソーシャルブックマークなどを通じて寄せられるネガティブコメントが苦痛で苦痛で仕方がなく、そのために更新頻度が落ちたり、ブログ自体を閉鎖してしまったりするような人々が少なからずいます。しかし、これは非常に残念なことです。ネガティブコメントはほとんどの場合、まったく取るに足りないか、または楽しいものであるかのどちらかで、いちいち苦痛に感じるようなものではないからです。少なくとも僕の場合には、ネガティブコメントの大半は喜ぶべきものであると感じています。

などと唐突に言うたびに、ほとんどのブロガーに白い目で見られるのが慣例となっている昨今ですが、変な誤解を解くためにも、以下でその真意を説明してみたいと思います。僕がSEOとかアレする人で、被リンクを得ることが何よりも嬉しいということを別にしたとしても、僕がネガティブコメントを喜ぶ理由には以下のようなものがあるのです。なお、僕のブログはブログのコメント欄は閉じています(だって匿名コメントへの対応とかリアル知人とのコミュニケーションとかが面倒くさいんだもん)ので、これらはすべてソーシャルブックマークのコメントなどについて述べたものです。

僕がネガティブコメントを喜ぶ5つの理由

1. 内容はともかく反応があるだけでも嬉しい
実生活においてもギャグがスベることほど寒いことはありませんが、エントリがスベるのもそれと同様で、とっても寒いことです(少なくとも僕にとっては)。それなりの労力をかけて書いたからには、やはり何らかのツッコミは欲しいもの。そのツッコミがネガティブコメントの形を取っていたとしても、スベる寒さに比べれば、ずっと嬉しいものです。もちろん、賛同や賞賛のコメントが付く方が嬉しいのは間違いないんですけど。
2. ネガティブコメントは読者層の拡がりの証左
エントリについた数少ないコメントがネガティブコメントだったりすると、そのネガティブなコメントがサイレントマジョリティの感想を代弁しているかのように見えてしまい、ちょっとヘコみ気味になることもあります。しかし冷静に考えれば、更新ごとに淡々と読みに来てくれるフィード購読者数(現在の僕のブログなら2100〜2300くらい/FeedBurner 調べ)こそがサイレントマジョリティなのであって、それを母数と考えれば、少数のネガティブコメントなどは割合としてはほんのわずかなものにすぎず、気にするほどのものではありません。むしろ、変な人も紛れ込むくらい読者が増えた、と考えるのが妥当でしょう。
3. 出る杭だから打たれた、とポジティブに考える
そもそもですが、何かしらの意見や情報発信を行ったとして、それがすべての人にとって等しく快い、なんてことはありえません。賛同する人もいれば反対する人もいるでしょうし、もっと感情的には、快く思う人もいれば不快に感じる人もいるでしょう。そして、その意見や情報が先鋭的なものであればあるほど(つまり平均や主流から離れたものであればあるほど)、反対意見や不快に感じる人の数も増える、というわけです。逆に言えば、誰も何とも思わないような当たり障りのないものを書くのではない限り、何らかの反対や非難や不快表明は避けられない、ということであり、ネガティブコメントが付くということは、極端に言えば先鋭的なものを発信できた証左であると考えられなくもありません。
4. ネガティブコメントは注目を集める
誰だって火事場騒動を好む性質はいくらか持ち合わせているものと思いますが、その中でも特に、ブログなどに興味を持つ人々というのはその先兵で、焦臭い匂いにやたらと群がってきます。それを考えれば、ネガティブコメントはブログの華、といったようなもので、初来訪の読者を増やすためには軽く燃えているくらいがちょうどいいように思います。まあこれは、僕が厚顔で鈍感だからそう思うだけかもしれないんですが。
5. コメンテーターの履歴を確認すると心が温まる
ほとんどのソーシャルブックマークでは、コメントした人の履歴をチェックすることができます。自分のブログにネガティブコメントが付いてカチンときたときは、焦らず騒がずそのコメントをした人の履歴を追跡してみましょう。すると、ネガティブコメントを付ける人というのは、どこへ行っても何を読んでもネガティブコメントを付けていることが多いということに気付きます。「なあんだ、この人ってアレな人なのか」、という具合です。それに気付いた瞬間、脊髄反射的にカチンときてしまったついさっきの自分を恥じ、寛大な心を取り戻せること請け合いです。まさに心温まる瞬間です。

これは別にギャグのつもりとかじゃなくて、僕は素でこんなふうに考えているんですが、コメントでヘコんだりすることのある皆さん、いかがでしょう?