小説「クリムゾン・ルーム」のゲラ本が届いた

さっき家を出てきたとき、心待ちにしていたものが郵便受けの中にあることを発見した僕は、それを出張用のバッグに詰め込み、はやる心を抑えながら地下鉄に乗り込みました。今は空港へと向かう高速バスの車中。あべの橋を出たバスはわずか30分足らずで伊丹空港に着き、僕はそこから青森へと飛びます。下は、僕が心待ちにしていた荷物の外観。

心待ちにしていた荷物

僕が心持ちにしていたものであり、絶妙のタイミングで今回の青森出張のお供になってくれるものは、高木敏光さんの小説「クリムゾン・ルーム」のゲラ本(パイロット版)というもの。読書好きの人にパイロット版を配布するというタイプのマーケティングが、文芸書の世界でどれほど行われているのかは知りませんが、少なくとも文芸書のゲラ本などというものは初めて目にしました。下の写真がその実物です。「非売品」の文字が眩しいです。

小説「クリムゾン・ルーム」ゲラ本の外観

さてこの小説、僕にとっては、単なる出版社からの献本以上の思い入れのあるものです。僕との付き合いの長い人の中には、僕が小説を書いて第19回 堺自由都市文学賞を受賞したことを覚えてくれている人もいるかもしれません。そして、僕がその小説を書いた動機が、他ならぬこの高木敏光さんであることもまた、覚えてくれているかもしれません。

僕にとっての高木さんというのは、言葉にはできないほどのリスペクトの対象であり、心の奥底では密かにライバル視している対象でもあり、あらゆる意味で大先輩であり、友人でもあるという、とてつもなく大きな存在です。その高木さんの発売前の著書が、こうして僕の手許に届いたこと、一般の読者に先んじてこれを楽しむことができることを、本当に幸せに思います。今回の僕の出張は、この本のおかげで退屈とはまったく無縁のものになるでしょう。

追記。読了して

この小説のテーマの一つは「創造の核となるもの」であり、この小説の中でそれは、自らの内面に棲む魔物のような存在として表現されています。その魔物は安定してそこにいるような存在ではなく、時には消耗してしまってクリエイターを腐らせたり、またある時には主人の意図とは無関係に暴れ出してクリエイターを創作へと駆り立てたりします。

創造物(表現されたもの、または作品と言い換えてもいい)に魔力のようなものが宿るかどうかは、創造者の内面に魔物のようなものが棲んでいるかどうかに関わっており、また、その魔物が猛り狂っていればいるほど、創造物に宿る魔力もまた強大なものになります。しかし、物語の主人公であるクリエイターは、その魔物をコントロールすることができません。

物語はこの魔物の存在やその蠢きを軸にしながら、栄光と凋落、欺瞞と慈悲、躁と鬱、日常世界とアングラ世界、感情と理性、愛着と金銭、エゴと評価、といった相反する様々な事象が、鮮やかなコントラストを描いて進行します。かなり文学的な(ともすれば青臭くなりがちな)テーマを扱いながらも、優れたエンターテイメントとして成立しているところには、著者のポリシーを感じます。この人は本当に、人を楽しませるということが好きで好きで仕方がないのでしょう。僕も一読者として、楽しく読むことができました。

読み終えたゲラ本

しかし、人を楽しませる物語として完成しているその一方で、他人からの評価に依存しなければ自己を評価できない主人公の哀切が、物語全体の行間から立ち上っており、この意味では、人を楽しませることでしか自分を確認することのできない人種ならではの悲哀も滲みます。

他己を通してしか自己を正当に評価することができないということはつまり、自分に当たっていたスポットライトが一度でも外されてしまえば、それによって自分自身の存在感さえもが危うくなってしまうということを意味しています。これは人生の中で一度でもスポットライトを浴びてしまった人間だけが持つ不安であり、それはおそらく、この物語の第二のテーマです。

この物語によって新たなスポットライトが当たることで、著者はきっと一時的な救いを得ることでしょう。そして、再びそのスポットライトが外れてしまうまでには、僕たちは再び、クリエイター高木敏光の新たな作品を目にすることができるのでしょう。この人は、僕たちを楽しませることでしか自分の価値を認めることができないのですから、ファンにとっては願ったりかなったりだというほかありません。

更新: | 公開: | タグ: | 執筆: