柔軟な専門化とインターネット

大量生産の時代には、分業化によって個々の労働者のタスクを単純化し、個々の労働者が行う作業をルーチン化することによって、生産効率を劇的に向上させました。また、垂直統合型の組織構造を採用することで、労働者間での情報のやりとりの必要性を最小化し、情報流通のためのコスト(取引費用)を押さえることにも成功しました。この結果、世界には優秀な製品やサービスがあふれ、僕たちはとてつもなく豊かになりました。そして今、僕たちは新たな問題に突き当たっています。つまり、「昨日と同じものはもう要らない」「他の人と違う製品やサービスがほしい」「代替のきくような労働はしたくない」といった問題です。この結果、大量生産大量消費の構図は崩れ、多品種少量生産へと産業は移行しています。規模の経済から、範囲の経済へと移行しようとしているわけです。

規模の経済は、市場の動きが比較的ゆっくりとしていた時代には有効なものでしたが、ニーズが刻々と変化するような動きの速い市場においては、細分化された単一のタスクしかこなすことのできない機械や労働者の寄せ集めでは、その変化に対応できません。そこで、20世紀終わり頃から「範囲の経済」と呼ばれるものが主流に踊り出してきたのです。範囲の経済というのは、汎用性の高い機械や、熟練の労働者を使って、多品種を少量ずつ生産するような生産システムに代表され、その手法は「柔軟な専門化」などとも呼ばれます。ここでは、変化に柔軟に対応できるような、内外へのリンクが多く、多様な情報を収集し流通させられる組織と、汎用性の高い機械、変化に対応できる熟練した労働者が主役になります。これらの論説はマイケル・J. ピオリらによる「第二の産業分水嶺」に詳しく描かれています(めちゃくちゃ難解です)。

大量に生産される製品やサービスは、すでに僕たちの周りに十分すぎるほどあり、そうなると、マズローの説(欲求段階説)を引用するまでもなく、僕たちは自己表現や自己実現を可能にする商品を求めるレイヤーに移行します。自己表現や自己実現を可能にするようなものを求めるのは、別に今に始まったことではなく、まさにマズローの言うように人間の「根源的な欲求」であると思います。ここでは、まさに「柔軟な専門化」が作り出すような、「個々に最適化された商品」が求められます。

僕の個人的な感覚でいえば、普及品ならすでに持っていますし、中級品には魅力を感じません。通り一遍の高級品も没個性的な感じがして受け入れにくくなっています。つまり、僕が欲しがるものは「僕専用」にカスタマイズされたものなのであって、従来の「普及品」とか「高級品」とかいうような枠にとらわれないものです。大量生産大量消費のマスマーケティングの時代には、僕たちは情報も選択肢を持たなかったため、すでにあるものを手に入れるしかありませんでしたが、それでも、僕たちがそれでは満足できず、「自分のためのもの」を求めていました。「自分のためのカスタマイズ」はある種の自己表現のようなものなので、それを求めるのは自然なことなのでしょう。

少し例を挙げましょう。小学生が筆箱にシールを貼ったり、ヤンキーが学ランに刺繍を入れたり、兄ちゃんがバイクを改造したりするようなことは、「自分のためにカスタマイズされた製品」を求める行動です。姉ちゃんがパーマ屋でお気に入りの美容師さんを指名したり、兄ちゃんが馴染みのマスターに「いつものやつを」と注文したり、おっさんがクラブでお気に入りの姉ちゃんを指名したりするのは「自分のためにカスタマイズされたサービス」を求めるものでしょう。そして、姉ちゃんがショップメイドのアクセサリーを吟味したり、オタクがお気に入りのキャラクターのフィギュアを集めたり、おっさんがマセラッティの車に憧れたりするのは、自分だけの世界を形作る「モノたちを選択」する行為だと思うのです。このように、「カスタマイズ」や「パーソナライズ」といったことは、人間の根源的な欲求に根ざした自然なものだと僕は考えます。

現在、消費者としての僕たちの周囲には、製品もサービスも、それらを選択するための情報も、いくらでもあります。以前であれば、情報はそれほど多くなく、そのために選択の幅もほとんどなく、したがってそこにあるものをそのまま受け入れるしかなかったかもしれませんが、今や選択肢は無限にあり、好みのものを好みの値段で手に入れることはそれほど困難ではなくなってきました。多様化の波はどこまでも進んでいて、インターネット業界においていわれている「ロングテール」に代表されるような動きは、インターネットの業界に限らない市場全体の傾向であるように見えます。これは、もともと消費者が「カスタマイズ」や「パーソナライズ」といった欲求を持っていて、そのために得ることができる情報の絶対量が飛躍的に向上している現状があった上で、欲求を満足させるサービスが存在すれば、そこにロングテールが発生するのは自然な成り行きなのではないかと思います。

今後ますますこの傾向が進んでいくなら、製品やサービスの供給者に求められるのは、先に述べた、内外へのリンクが多く、多様な情報を収集し流通させられる組織と、汎用性の高い機械、そして、変化に対応できる熟練した労働者でしょう。もちろんこれが全てではないでしょうが、この傾向は確実にある、ということを僕は言いたいのです。そして、「内外へのリンクが多く、多様な情報を収集し流通させられる組織」というのは垂直統合型の企業の形態をしたものではなく、現在存在するものに例えるなら、「フリーランスのネットワーク」のようなもので、「汎用性の高い機械」とはもちろんコンピューターのことで、「変化に対応できる熟練した労働者」とは、まさに僕たちのようなフリーランスを指しているのではないかと思います。

僕自身は、フリーランスと、そのネットワークに着目し、そこに属する「熟練した労働者たち」とともに新しいものを生み出していく道を選択しているわけですが、こうした僕たちの動きは、一つ一つは小さく、影響力もないに等しいものです。しかし、適切な着地点さえ得られれば、カスケード(雪崩)を起こす可能性があります。植物の種(シード)が育ち、花開き、実を結ぶかどうかということは、その種が落下した土壌の育成能力に全面的に依存しています。だからこそ、植物はたくさんの種を撒くのです。種はどこにでもあり、適切な着地点が得られたとき、それは実を結ぶ、というわけです。僕たちの活動も同じようなものでしょう。どこかで、誰かが、社会ネットワークの中で適切な着地点を見つけたとき、僕たちのシードは一気にカスケードを起こし、産業の構造自体がキャズムを乗り越えるのだと思います。いや、もしかしたら、すでにカスケードは起こり始めていて、僕たちは後になって今を振り返り、「あれがカスケードの始まりだった」というのかもしれません。

# 社会的な広域カスケードについては「スモールワールド・ネットワーク—世界を知るための新科学的思考法」(ダンカン・ワッツ著、原題は”6次の隔たり”を意味する”SIX DEGREES”)や「なぜあの商品は急に売れ出したのか—口コミ感染の法則」(マルコム・グラッドウェル著、原題は”The Tippng Point”)に詳しく解説されています。またイノベーションの浸透については「キャズム」(ジェフリー・ムーア著)が興味深いです。