僕は仕事人間だった。でも今は違う

僕はいままでの人生の大半をダラダラと過ごしてきて、今もそうしているんですが、ほんの一時期、5〜6年かそこらの間、正真正銘の仕事人間だったことがあります。無名のプータローだった僕は、SEOのおかげでわずか2年くらいのうちに業界ではそこそこ名の知れた存在となり、それまでの10年で支払った額をはるかに上回る所得税を一年で払ったり、志も高く会社を興したりもしました。

商売をするために必要な各種のスキルを必死で磨き、文字通り寝ずに働き、数多くの顧客に恵まれ、多くのギャラをもらいました。自分の仕事が認められ、それがお金に替わるのは本当に嬉しく、成果が出るたびに僕はより一層力強く自分を追い込んで働きました。忙しさが次の忙しさを呼び、ただただ全力で走り続ける毎日です。

考えることといえば、仕事の効率をいかに上げるかとか、受注プロセスをいかに最適化するかとか、いかに単価を上昇させるかとか、いかに安定的に納品物のポテンシャルを高めるかとか、そんなことばかり。僕の周囲にいた人たちもまた、みんなそんな感じだった(またはそんな感じに見えた)ので、僕は何の疑問も抱きませんでした。

忙しさにかまけて余暇も取らず、旅行もせず、大好きだった小説もほとんど読まなくなりました。その数年間(1999年から2005年くらいの間)に読んだ本は技術書やビジネス書ばかりでした。今思えばなんて貧しい時間だったんだろうと思わずにはいられませんが、当時の僕は充実した日々を送っていると思っていました。

しかし結果として、そうした生活が僕にもたらしたものは、残念なことに幸せなどではなく、精神疾患でした。僕はあるとき、疲れきってしまった自分を発見したのです。もう走れないよ、と。

そして今の僕は、仕事を制限し(食えるだけの収入があればいい)、その代わりに、旅行したり小説を読んだり、ゆっくりと流れる時間を楽しんだりしています。今の生活をはじめたときは、従来の生活とのギャップが激しすぎたために、ダラダラ過ごすことに対して言いようのない焦燥感に苦しめられたり、自分の弱さを嘆いたりもしましたが、そうした気分は時間と共にやわらいでいきました。

結局のところ、僕は素直すぎた(または馬鹿すぎた)んでしょう。IT業界という飛び切りシャブい業界のペースに巻き込まれて、自分のペースを見失ったんだと思うんです。ラットイヤーだとか何とかいいながら、むしろ自分自身が回転ケージの中をひた走るラットそのものになってしまい、消耗しきってしまうという茶番を僕は演じたわけです。

インターネットの言論圏において目立つ人というのはおしなべてシャブい人が多いわけですが(というかそういう人が目立つわけですが)、だからといって、自分もまたそういう人になるべきなのかと言えば、それはまた別の話です。とはいえ、IT業界という小さな村の中で働き、その中でも飛び切りシャブい人たちの言論にばかり接していると、それが普通のことのように思えてきて、僕のような弱い人は簡単に自分を見失ってしまう。

僕は自分にとっての幸せがどんなものなのかということを未だにわからずにいますが、とはいえ今はそこそこ幸せだと思いますし、本当の幸せなんてわからなくてもいいんじゃないかとも思います。ただ、他人のペースで走るのは辛い、ということはよくわかりました。そして、そういう僕もまた、かつては僕のペースを他人に押しつけていたことでしょう。今は猛烈に反省しています。

仕事人間は時として迷惑な存在でありうる。どこまでいっても他の誰かは自分ではないし、自分は他の誰かではない。このことは忘れたくないものです。自戒を込めて。