実用書を読むのって、いいですよね。まず確実に、知識がつきます。また、たいていは仕事や人間関係など実生活の役に立ちます。さらに、論理展開を予測しながら読むなどの工夫をすれば、考える力や書く力も身につきます。
今から振り返ればほんの一時期に過ぎませんが、僕も実用書ばかり大量に読み漁っていた時期がありました。2001年くらいから2006年くらいまででしょうか。この間は、本当にたくさんの技術書やビジネス書を読み、よく勉強したと思います。
僕は右も左もわからないまま独立して仕事を始めましたから、身につける必要のあることや知る必要のあることが多すぎて、でも時間は圧倒的に足りなくて、焦燥感に駆り立てられながら実用書を読みまくったものです。学んだことは多いですが、幸せな読書体験ではありません。
でもここ数年は、読書の中心は小説に移行しました。小説をいくら読んでも直接的に何かの役に立つようなことはありませんから、心にゆとりがないと小説を楽しむことはできません。ここ数年でやっと、僕の心にも余裕が出てきたということなのでしょう。
で、いま感じているのは、小説を読むのって本当に素晴らしい、ということです。とりわけ素晴らしいのは、小説では、自分の現実の人生とは違う人生を疑似体験できる、ということです。
小説の中には、現実の僕とは異なる生い立ちや経験、人間関係や事情、課題や目標を持った人物が登場し、それらの登場人物の視点を通して、僕の人生には起こりえない事件に遭遇し行動する、という体験をします。小説を読んでいる間の一時は、現実の枠を超えて別の人生を生きることができるのです。
この、現実の枠を超えて別の人生を生きることができる、という点こそが、小説ならではの醍醐味だと今の僕は考えています。
もちろん、僕たちは現実を生きているわけですから、現実はいうまでもなく大切なものです。自分を取り巻いているいくつかの小さな社会(家族や地域や会社や友人など)の中で生き、それらをよりよくするために働く、というのは人として大切なことです。
しかしだからといって、自分の現実だけに埋没してしまっていいのかといえば、それはそれで残念なことです。自分の現実の枠から一歩も外に出ることがなく、自分という単一の視点、単一の考え方、単一の感性しか持てないままに生きるというのは、少しばかり寂しいものに思えるのです。
優れた小説を読むことによって、いま生きている現実の見え方が大きく変わることがあります。このような、世界が今までと違って見えるような作用のことを「異化」と呼ぶそうですが、これはたいていの場合、小説世界の中の登場人物と共に新たな経験をしたときに得られます。
こうした異化を体験するたびに、現実世界は深みを増していきます。自分一人の視点、自分一人の考え方、自分一人の感性では、見ることも感じることもできなかった世界が、異化によって様々に開けていくのです。一度きりしかない人生を、これほど深く濃く何重にも楽しむ方法が他にあるでしょうか。
もっとも、新しい視座を得るという体験だけなら、実用書を読むことによっても得られることがあります。しかし実用書がくれる新しい視座は、自分がもともと持っている視座の延長線上のものでしかありません。
実用書を読むときの僕の頭にあるのは、過去や現在や未来の僕が、仕事や生活の上で遭遇する課題や問題であって、それらはどこまでいっても現実の延長線上のものです。実用書をいくら読んでも、現実という枠は超えられません。
去年はわりとたくさんの小説を読むことができました。今年もたくさん読めるといいなと思っています。明けましておめでとうございます。