2006年10月6日は旧暦8月15日にあたり、中秋節(中秋の名月)です。この日は、京都東山にある真言宗智山派(成田山新勝寺や川崎大師平間寺などを擁する大宗派です)の総本山 智積院では「観月会(かんげつえ)」という催しがあるとの瀬戸さんのお誘いを受けて、僕も京都まで行ってきました。
この観月会とはいわば「お月見の会」で、智山声明を聞いたり、密教における座禅というか瞑想法である月輪観(がちりんかん)の体験をしたり、ライトアップされた庭園を拝観したり、秘蔵の宝物を見学したり、月見弁当を食べたり、狂言を観劇したり、といった面白い体験ができました。
僕は堺の自宅からまっすぐ智積院へと向かったため、降車駅は京阪本線の七条駅でした。そこから瀬戸さんに電話してみると、タクシーで向かっているところだからそのまま待つように、と言われたのですが、なんと瀬戸さん、「四つ葉のクローバー号」で登場。
四つ葉のクローバー号とは、京都に馴染みのない方はご存じないかと思いますが、三つ葉のマークでおなじみのヤサカグループの中で京都市内を走るタクシー約1,500台(2006年10月現在)のうちたった4台しかないというラッキーカーです。僕は話には聞いていたものの、見るのも初めてでした。
タクシーではカードとシールの記念品をいただき、無事に智積院に到着しました。時刻は17時20分ほどでしょうか。門前には今日のイベント「観月会」の案内板が出され、僧侶たちが忙しそうに行き来していました。
観月会の会場は大講堂ですが、そこまで行く前に金堂が見えます。まだ少し人影もありました。開場前には智積院についていたのですが、すでに大変な行列ができていました。僕と瀬戸さんもその列の最後尾につきます。その後も続々と人が集まってきます。下の写真は瀬戸さんが入手してくれたチケットです。
始めに管主猊下による法要と簡単な法話があり、観客など全員で般若心経を一反だけ読経、その後に声明が始まりました。声明は「露地の偈」、「散華」、「仏垂般涅槃略説教戒経」、「光明真言」、「普回向」で30分弱という短いものでしたが、やはり散華があると場の雰囲気も華やいだものになり、盛り上がります。
声明を聞いた後はいよいよ密教瞑想、月輪観(がちりんかん)の体験です。この月輪観とは、我々が既に持っている菩提心のシンボルとして月を本尊とし、心の中に満月を観じて行う密教式の座禅だそうです。一同は教師の案内に従って瞑想を行います。下はこの時の本尊にした月輪。
密教(ここでは主に真言宗)では、本来すべての人に満月のような徳が備わっているとしているそうです。それは以下のような言葉から読み取ることができます。
夫仏法非遥 心中即近(それ仏法はるかにあらず、心中にしてすなわち近し)
「般若心経秘鍵」弘法大師空海
満月のような徳とは、以下のようなものだと言います。
月の十徳
- 一、円満
- 月の円満なるが如く、自心も欠くることなし。
- 二、潔白
- 月の潔白なるが如く、自心も白法なり。
- 三、清浄
- 月の清浄なるが如く、自心も無垢なり。
- 四、清涼
- 月の清涼なるが如く、自心も熱を離れたり。
- 五、明照
- 月の明照なるが如く、自心も照朗なり。
- 六、独尊
- 月の独一なるが如く、自心も独尊なり。
- 七、中道
- 月の中に処するが如く、自心も辺を離れたり。
- 八、速疾
- 月の遅からざるが如く、自心も速疾なり。
- 九、巡転
- 月の巡転するが如く、自心も無窮なり。
- 十、普現
- 月の普く現ずるが如く、自心も遍く静かなり
「一期大要秘密集」興教大師覚鑁
こうした満月を心の中に観じつつ、瞑想を行うというわけです。この時の月輪観の流れは以下のようなものでした。
- 半跏趺坐(胡座をかくように坐って右足首を左腿の上に載せる)で法界定印(左手のひらに右手のひらを載せ、親指の先を合わせて輪を作る。禅定印とも)を結ぶ
- 背筋を伸ばして状態を前後左右に揺すり、集中しやすい落ち着く姿勢を取る
- 鼻から一気に吸い、口から長くゆっくりと吐く方法で呼吸を整え、息の数を数える。吸気は天地宇宙を腹に吸い込むように、呼気は天地と自分を融合させるかのように長くゆっくりと吐く
- 本尊である満月を心に描き、定着させる
- しだいに月輪を大きく広げていき、自分がすっぽりと中に入れるくらいの大きさまで大きくする
- その大きさが定着したら、次はお堂がすっぽりと中にはいるほどの大きさまで月輪を大きくする
- 次に智積院全体がすっぽりおさまるくらいの大きさの月輪を観じ、その大きさが定着したら今度は京都の町全体がすっぽりおさまるほどの大きさの月輪を観じる
- さらに日本全体がすっぽりおさまるほど、さらには地球がすっかりおさまるほど、最後には宇宙全体がすっぽりおさまるほどの大きさまで、だんだんと月輪を大きくする。
- 宇宙がおさまるほどの大きさまで拡がった月輪をしばらく維持する
- 今度は逆に、月輪を小さくしていく。宇宙全体を包む大きさから地球全体を包む大きさへ、地球全体を包む大きさから日本くらいの大きさへ、といった具合で、日本から京都、京都から智積院、智積院からお堂、お堂から自分の身体、と小さくしていく
- 最初の大きさまで月輪の大きさを小さくしたところで終了
さて、月輪観が終わったところで月見弁当と樽酒が振る舞われたのですが、下の写真はその弁当を取りに行くときの会場内の様子。ついさっきまで瞑想に浸っていたとは思えないせわしなさで、さすが関西人です。
この大人数のせわしない人々をかき分けて弁当と酒を手にすると、今度は講堂と書院の中をウロウロして、弁当を食べる場所を探します。書院の中は襖絵などが素晴らしく、また外は庭園がライトアップされていて、酒を飲みつつウロウロしていると、もうそれだけで十分というような気がしてきます。最終的には、襖絵の美しい大広間の隅に陣取って、ここで弁当を食べることに。
正直あまり期待していなかった月見弁当ですが、見た目も味もボリュームもなかなかのものでした。お寺の中で食べるものとは思えません。
弁当を食べ終わると、今度は狂言の時間です。今回の狂言は「善竹狂言」というもので、大蔵流狂言善竹会というところに伝わっているものだそうです。演目は「仏師」といい、信心深い田舎者と、それを騙す都の詐欺師のやりとりを描いたユーモラスなものでした。昔のコントといったものなのでしょうか。
登場人物は二人だけなのでストーリーはわかりやすく、台詞も古語ではあるものの時代劇の文語調を少し強くした程度で聞き取りやすいので、観衆はぐいぐい物語に引き込まれます。
すっかり笑わせていただきました。
今日の京都はあいにくの曇り空だったのですが、観月会を終えて外に出ると、雲の切れ間から月が覗きました。周囲からは歓声が上がります。その歓声を背に、僕と瀬戸さんは祇園へと(以下ry