小説「クリムゾン・ルーム」のゲラ本を読了しました。
この小説のテーマの一つは「創造の核となるもの」であり、この小説の中でそれは、自らの内面に棲む魔物のような存在として表現されています。その魔物は安定してそこにいるような存在ではなく、時には消耗してしまってクリエイターを腐らせたり、またある時には主人の意図とは無関係に暴れ出してクリエイターを創作へと駆り立てたりします。
創造物(表現されたもの、または作品と言い換えてもいい)に魔力のようなものが宿るかどうかは、創造者の内面に魔物のようなものが棲んでいるかどうかに関わっており、また、その魔物が猛り狂っていればいるほど、創造物に宿る魔力もまた強大なものになります。しかし、物語の主人公であるクリエイターは、その魔物をコントロールすることができません。
物語はこの魔物の存在やその蠢きを軸にしながら、栄光と凋落、欺瞞と慈悲、躁と鬱、日常世界とアングラ世界、感情と理性、愛着と金銭、エゴと評価、といった相反する様々な事象が、鮮やかなコントラストを描いて進行します。かなり文学的な(ともすれば青臭くなりがちな)テーマを扱いながらも、優れたエンターテイメントとして成立しているところには、著者のポリシーを感じます。この人は本当に、人を楽しませるということが好きで好きで仕方がないのでしょう。僕も一読者として、楽しく読むことができました。

しかし、人を楽しませる物語として完成しているその一方で、他人からの評価に依存しなければ自己を評価できない主人公の哀切が、物語全体の行間から立ち上っており、この意味では、人を楽しませることでしか自分を確認することのできない人種ならではの悲哀も滲みます。
他己を通してしか自己を正当に評価することができないということはつまり、自分に当たっていたスポットライトが一度でも外されてしまえば、それによって自分自身の存在感さえもが危うくなってしまうということを意味しています。これは人生の中で一度でもスポットライトを浴びてしまった人間だけが持つ不安であり、それはおそらく、この物語の第二のテーマです。
この物語によって新たなスポットライトが当たることで、著者はきっと一時的な救いを得ることでしょう。そして、再びそのスポットライトが外れてしまうまでには、僕たちは再び、クリエイター高木敏光の新たな作品を目にすることができるのでしょう。この人は、僕たちを楽しませることでしか自分の価値を認めることができないのですから、ファンにとっては願ったりかなったりだというほかありません。



