青龍山 野中寺(中之太子)

葛井寺から車で数分のところに、野中寺はあります。野中寺と言えば、奈良大学の東野治之氏が2000年に、野中寺に安置されている金銅弥勒菩薩半跏思惟像(重要文化財)が、実は伝えられているように白鳳時代の作ではなく、後世の贋作で1918年(大正7年)の作であるとする説を発表したことなどから、興味深い古代史のミステリーとして知られています。しかし、そうした話題性とは裏腹に、実際に行ってみると実に静かなお寺でした。
青龍山 徳蓮院 野中寺の山門

山門をくぐると、境内は思ったよりもかなり広く、ちょっとした驚きです。
境内の様子

写真は塔跡の礎石。国の史跡に指定されている「野中寺旧伽藍跡」のそれぞれは、何気ない感じで境内に散在しています。
塔跡の礎石

拝観受け付けや納経所へは、本堂の右側から裏手に回り込むように進みます。
本堂の裏手へと回る道

ご朱印はこんな感じでした。
青龍山 徳蓮院 野中寺の朱印

霊場紹介

名称
青龍山 徳蓮院 野中寺
宗派
高野山真言宗
所在地
大阪府羽曳野市野々上5-9-24
開基
蘇我馬子
開山
聖徳太子
創建
推古天皇の御宇
本尊
薬師如来
御詠歌
くもりなき るりの光の 野中寺 こころもはれて 帰るうれしさ
縁起など
聖徳太子建立48寺院の1つとされ、寺伝では蘇我馬子が建立したと伝わっていますが、百済からの渡来氏族で王辰爾を祖とする船氏の氏寺だったとする説もあるそうです。聖徳太子建立三太子の一つで、大阪府南河内郡太子町の叡福寺(上之太子)、大阪府八尾市の大聖勝軍寺(下之太子)と並んで「中之太子」と呼ばれています。建設当時は野中寺独特の伽藍配置だったようで、中門跡・ 金堂跡・塔跡・講堂跡・回廊跡など飛鳥時代の礎石が残っており、「野中寺旧伽藍跡」として国の史跡に指定されています。江戸時代には律宗の勧学院(学問所)として栄えました。また油商の豪商 天王寺屋の娘「お染」と丁稚「久松」の悲恋を題材とした文楽や歌舞伎の演目で知られる「お染・久松」の墓所があります。
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