手を動かすのが好きだ

なるほど説明不足だったな、と、ふうりさんのエントリを読んで思いましたので、補足的な意味をこめて「手を動かす」ということについて。

僕はゲームのある日はほとんど毎日、テレビのプロ野球中継でタイガース戦を観戦しています。野球が好きで、野球を見るのも好き。でも、僕は運動はあまり得意な方ではなく、プロ野球選手になろうと思ったことは一度もありません。単なるプロ野球ファンで、プロ野球観戦が好き。

その一方で、野球をプレイするのが好きで好きで、とにかく野球をプレイしていれば幸せで、自分が上手くなればもっと幸せで、チームが勝てばもっともっと幸せで、そのプレイでファンを魅了することができたらさらに幸せ、という人たちもいます。プレイヤー気質というか。

ここで思うのは、プロ野球選手になる人というのは、僕のような単なる野球好きではなく、野球をプレイするのが好きで好きで仕方がない人、プレイヤー気質を持ち、いくらプレイしても絶対に飽きうことのない人なんだと思います。野球が好き、ということと、野球で飯を食う、ということは、明確に異なるわけです。

同じように、絵を見るのが好きだとか、特定の画家の作品が好きだ、というだけでは、職業人としての画家になるための資質を備えているとはいえないと思うんですよね。画家になる人というのは、描くこと自体が好きな人。音楽家になる人というのも、聴くのが好きな人ではなく、演奏したり作曲したりすることが好きな人だと思うんです。

例えば、プログラマーになるのはどんな人か。もちろん、プログラムを書いたり、バグを潰したりすることが好きで、プログラムが走ることに幸せを感じられる、というのが前提になると思うんです。もし手を動かすことが苦痛なら、プログラマにはなれない。

デザイナーも同じ。誰のためであるとか、何のためであるとかはむしろ二次的なもので、自分の手を動かして作るのが好きな人が、デザイナーになるんだと思うんです。クライアントのためだろうと、自分のためだろうと、クライアントの利益のためだろうと、自己満足のためだろうと、とにかく、手を動かすのが好き、デザインするのが好き、というのは、デザイナーにとっての基本的な要件だと思うわけです。

ここでのポイントは「手を動かすのが好き」ということ。誰のために手を動かすのかにかかわらず、何のために手を動かすのかにかかわらず、とにかく手を動かすことが好きだということは、何につけてもはじめの一歩であるはず。とにかく手を動かさなければ、何も身につかないし、何も生まれないし、もちろんプロにもなれません。

とはいえもちろん、クライアントに喜んでもらって、ギャラがもらえる、というのは、無上の喜びの一つです。しかし、その喜びだけでは「画期的な何か」は作りにくいですよね。

例えばネット上の画期的なサービスというのはだいたい、クライアントのために作られた物ではなく、自分たちの作り手としての欲求に基づいて作られていると、僕などは思ってしまうわけです。Googleしかり、はてなしかり。手を動かすのが好きで、動かし続けた結果、そういうものができる。そして、ファンを魅了する。

僕が言いたかったのは、クライアントのために手を動かすのもいい(これをやらないと飯が食えない)し、それはそれで大きな喜び(ギャラももらえるし)なんだけれども、その一方で、自分のために手を動かすというのもやっておいたほうが、きっと作り手としての楽しい人生があるんだろうな、ってことです。

そして、僕が本当に楽しく手を動かせる作業というのは、目下のところ小説を書くこと。これは仕事とは無関係で、いわば趣味のようなもの。でも、これをやるのとやらないのでは、作り手としての人生の楽しみが大きく変わってくるんです。そんな感じの、僕の考え。

別にこれって、アーティスト志向ではないですよね? むしろ僕はこれをプレイヤー志向だと考えています。そして次のエントリ(もちろん人の役に立つのも好き)に続きます。

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