つい先日、CSS Nite in Osaka Vol.5 に登壇した際の最後に話したことなのですが、「凡庸かそれ以下の才能しかなくても、メシを食うくらいならできるよ」という話。僕の経歴の中にはそこそこ華々しく見える部分があり、そうした部分だけを見ると、なんだか僕は才能に恵まれた幸せな人のように見えなくもありません。プライベートで僕との関わりがなく、僕の仕事上の実績だけを見てきた人たちにとっては、僕という人は何か立派な人に見えてしまったりするのでしょう。
他者から見た僕と実際の僕
事実、僕は、目立つところだけでも次のような実績があり、確かにこれだけ見ればすごく立派そうです。
- 現存する最古参のSEOサイトの保有者である
- 題名にSEOを冠する日本で最初に出版された書籍の著者である
- 書籍の執筆では単著も共著も持っている
- 雑誌でも、連載を含めて多数の執筆歴がある
- SEOで事業を興した(失敗しましたが)
- ブログを書き始めたらそれもある程度の知名度を得た
- 小説を書いてみたら堺自由都市文学賞を受賞した
- 講演活動なども数多くこなしている
こうした実績だけを並べると、なんだか僕って、才能にあふれた人のように見えますよね。実際に「住さんは才能があっていいですね」などと真顔で言われることも少なくありません。
しかしこれらはあくまでも、表向きに(ある意味積極的に)公開している経歴であって、それ以外の部分に目を向けると、平均的な社会人よりもはるかに劣った存在である僕の姿もまた見えてきます。実際の僕は、凡庸な才能しか持たず、あらゆる意味で平均的な日本人よりも劣っていて、あまりにも矮小な存在でしかないのです。プライベートで長い付き合いのある人々にとっては周知のことですが、ここでその一例を公開してみましょう。
- 最終学歴は普通科の高卒で、頭が悪い上に専門教育を受けたこともない
- 18歳から27歳くらいまでの約10年間はフリーターで、11の職場を転々とした。その間には正規雇用された会社も3社あったものの、いずれも短期間で離職
- 独立する直前に働いていた6社では、連続してすべて解雇(クビ)になっているほど、勤務態度や協調性に問題がある
- 交通事故に巻き込まれておよそ1年間にもわたって身体が動かず、働くこともできなかった時期がある
- Webの仕事で独立(27歳の時)した後も、それだけでは食えず、深夜のアルバイトは続けていた。本業が軌道に乗ってきたことを受けてやっとアルバイトを辞めた(というか解雇された)のは2001年、僕が29歳の時
- 2004年には事業を法人化するも、わずか1年ほどで解散の憂き目に。今も法人は存続しているものの、一人社長で実質はフリーランスという形態
- 今までにも何度か煩ってきた精神疾患が近年とみに酷くなってきており、今回の精神科受診は4年近くに及ぶ。症状は抑鬱と睡眠障害で、今も投薬治療で倦怠感や意欲の低下や抑鬱感と戦う毎日
さて、そんな僕がなぜ、どうやって、今のようにそこそこ認められる存在になったのでしょうか? もちろん、運もあったでしょう。間違いなく、僕は運がいい。それは確実なことです。特に僕は、人との出会いにおいてはあり得ないほどの強運の持ち主だと言っていいでしょう。しかし、運というものは、じっと待っているだけで訪れるものではありません。やはり、何らかのアクションがあって初めて、そこに何かしらのプラス要因が働くものです。
そこで、凡庸な才能しかない僕が、どうやって世間を渡ってきたのか、その方法というか心がけについて、3点ほど書いてみようと思います。僕は次に示す3つのことを実践することで、運をたぐり寄せ、今の僕を作ってきたのです。このエントリが、誰かの参考になれば幸いです。
1. 失敗を恐れない
宝くじは買わなければ絶対にあたらないのと同様に、動かずに結果だけがついてくることは絶対にありません。とにかく動き出すことです。そして、はじめの一歩というのは、勇気を持って果敢に第一歩を踏み出す、といった格好いいものじゃなくてもいいんです。追い詰められた結果、やむにやまれず踏み出した一歩であってもいいんです。
実際に、僕が今の仕事を始めたのは、交通事故で身体が動かなくなり、それまで従事していた倉庫内の作業のアルバイト(肉体労働)ができなくなってしまったことがきっかけとなっています。収入の途を絶たれて仕方なく、というのがその真相なのです。それまでにいくつもの職場で解雇されるという経験をしてきた上に、解雇されなかったとしても怪我で職を失った僕は、解雇されることも怪我で働けなくなることもない仕事を志向した結果、今のインターネットの仕事を自己雇用という形で行うという結論に行き着いたのです。僕は消去法で仕事を選んだのです。
こんなことは、決して格好のいいものではありません。さらに、どんなに贔屓目に見ても、その状況で起業したところで、成功など望むべくもありません。しかし僕は、なんとしてもフリーター生活から抜け出したかった。だから第一歩を踏み出したのです。しかし、その一歩は数年後の二歩目につながり、さらにその数年後の三歩目につながり、今の僕を作りました。どんなに格好悪くても、何もしないよりはましです。
もしこれを読んでいるあなたが、明日も、明後日も、来月も、来年も、10年後も、今と同じような状況の中で生活していくことに多少の危機感を覚えるなら、第一歩を踏み出す動機は十分です。新しいことにチャレンジして失敗することよりも、代わり映えのしない毎日を今後も歩んでいくことの方が、よほど失敗だと思えるからです。10年後に後悔したくないなら、今動き出すべきでしょう。
2. デビューするだけなら才能は関係ない
例えば何か新しいことにチャレンジしようとするとき、僕も含めて普通の人の頭の中には、きっと次のようなネガティブな思考(いいわけと言ってもいい)が渦巻いてくることでしょう。
- 並み居る先人たちのいる中で、すでに出遅れている自分がいまさら始めても、その分野の第一人者になれる望みは薄い
- いまから始める新しいことで名を成すほどには自分は才能に恵まれていない
- やるからには完璧にやり遂げたいが、それは難しいだろう
- リスクを取って始めたって、それに見合ったリターンが得られる確率は低そうだ
僕が思うに、新しいことにチャレンジしようとするときの最大の障害は「理想が高すぎること」だと思うのです。僕は、ギリギリでも食うメシを確保できればそれが成功、というくらいの低い目標を掲げて挑戦を始めました。でも、それはそんなに間違ったことではないと思うのです。まずはギリギリでもメシを食うことができるようになることから、すべては始まると思えるからです。初めから世界のトップを目指そうなどと考える方が間違っています。
どんな仕事でも、日本や世界のトップクラスを目指す、というのであれば、それはきっと恵まれた環境や才能がなくては難しいでしょう。才能に恵まれていない僕やあなたには、正直なところ難しいというか無理なはずです。しかし、ただ単にデビューする、それでメシを食う、ということを目標にするのであれば、そこに必要なのは才能というよりは努力であって、才能の無さやリスクの高さをいいわけにするようなものではないと思うのです。
例えば、ボクシングの世界ランカーになる、となれば、そこには人並み以上の努力に加えて、恵まれた環境や類い希な才能も必要になるのかもしれません。才能に恵まれていない人が世界ランカーを目指してボクシングジムに入門しても、自分の才能の無さに嫌気して早々に脱落してしまうのも、まあ当然のことでしょう。しかし、C級ライセンスを取得してプロボクサーになる、といった低い目標であれば、実現することはそう難しいことではないでしょう。年齢や視力、健康状態に問題がなければ、どんなに才能のない人でも、ほんの2〜3年努力すればプロボクサーになることができます。
僕が思うのは、目標を高く持ってさっさと脱落してしまうよりは、身の丈にあった低い目標を掲げ、それを一つ一つ達成していく方が、遥かに容易で、才能にも左右されず、確実に成長を遂げていける道だと思うのです。デビューするだけ、その道でメシを食うだけなら、才能なんか必要ありません。必要なのは、達成可能な目標と、その目標に向かう努力だけなのです。今すぐ「俺には無理だわ」といういいわけを捨て「俺にだってここまでならできる」という目標を立てるべきです。
3. 集中し没頭する
どんな人でも、それが仕事上のことであれ、趣味のことであれ、身近な集団の中でトップクラスと言えるスキルを持っているはずです。同僚の中で一番カラオケが上手い、とか、クラスで一番人を笑わせるのが上手い、とか、草野球チームの中で一番バッティングが上手い、とか、その他にも、美しいコードを書く、本を読むのが速い、絵を描くのが上手い、バグを見つけるのが速い、検索して目的の情報を見つけるのが上手い、などなど。
こうしたスキルは、自然発生的に身についたものではありません。生まれたときから美しいコードを書いていた、とか、生まれたときから歌が上手かった、などという人はいないのです。では、そうしたスキルをどうやって身につけたのか?
思い出してみてください。明けても暮れても、寝ているときも起きているときも、歩いているときも食事しているときも、そのことばかり考え、片時も離れることなくそのことに没入し、時間を捻出しては実践し、悩み、試行錯誤し、誰よりも多くの時間と集中力そのことに投入した結果、そのスキルが身についたはずです。そしてそのスキルは、今のあなたの仕事や趣味や人間関係を支えてくれています。
逆に言えば、何か新しい技能を身につけようとする場合、そのことだけに集中し、没頭し、まとまった多くの時間を投入することが、何よりも重要だと思うのです。忙しさにかまけて何も行動を起こすことなく、漠然と「あのスキルが身についたらなあ」などと考えているだけでは、絶対にものになりません。今あなたが持っているスキルを身につけたあのときのように、とにかくそれに没入すれば、世界のトップクラスの実力が得られるなどということは不可能かもしれませんが、それでも、身近な集団の中でトップクラスのスキルは得られるものです。
いかがでしたでしょうか。類い希な才能に恵まれた人なんて、そうたくさんいるもんじゃありません。むしろ、大した才能もないような絶対多数の人たちが、努力によって何事かを成している、というのがこの世界の実情だと僕は考えているのです。馬鹿で結構。無能で結構。凡人で結構です。僕たちもボチボチやっていきましょうよ。