肉体労働によって生計を立てていた当時の僕は、事故で怪我を負って仕事ができなくなったことによって、その後の人生を考えなければならなくなりました。復職の道は絶たれ、体は思うように動かず、体が動くようになったとしても手に職はありません。僕はフリーランスへの道を決意しました。怪我の治療が一段落つくと、交通事故の慰謝料と親から取り付けた援助金を投入して、PCなどの最低限の環境を整えました。ここが僕の第二の人生の始まりでした。
当時はWindows 98がリリースされた時期であり、インターネットやWWWがビジネスの世界でも急激に脚光を浴び始めた時期でした。こういう時期でしたから、僕が新しいスキルを身につけるにあたってコンピューターやインターネットを選んだのは必然的なことでした。特にインターネットは歴史が浅く、経験者らしい経験者もそう多くはない時期でしたから、それまでに培った経験が何もない僕にもチャンスがあるように見えたのです。僕はその後Webサイト制作の仕事で独立を果たしますが、この時点では漠然と「インターネットの仕事」を指向していただけで、その目標にはなんら具体性はありませんでした。
僕がフリーランスを目指した動機は単純で、「人は事故にあったり怪我をしたり、その結果クビになったりする。体が動かなくても、誰かに雇われなくてもできる仕事を探さなきゃ」というものです。夢にあふれたものではなく、切羽詰まって決断したものです。僕が安定した仕事を得るためには、自己雇用以外の方法が見あたらなかったのです。自営業者として独立するということは、僕にとっては消去法で最後に残った選択肢でした。
また、コンピューター、インターネット、在宅、専門性、独立、というようなことは、僕にとっては冒険ではなく、むしろリスクの回避でした。ネットを使い、在宅で、専門性を武器に、独立して働く、というのは、怪我などの理由で移動できなくなった場合のリスクや、クビになって職を失うリスクを回避するための解決策であって、夢とか冒険とかそういうものではありませんでした。僕は何も持っておらず、他には選択肢がなかったのです。
その後は今の仕事に直結するスキルを身につけるために勉強の毎日です。お金の余裕もなく、体も思うように動かず、仕事もしていないため、勉強の他にはすることがありません。一日17時間程度ずつは休まず勉強しました。日中は読書で基礎を固め、テレホーダイの時間はネットで最新の情報を取得しました。怪我が完治してからも、週に何日かバイトに行く他は勉強に明け暮れました。そんな生活を1年ほど送ったあと、実験のために持っていた個人サイトを、受注を得るためのサイトに切り替えます。
しかしもちろんすぐには軌道に乗りません。バイトしながらWeb制作の仕事を続けていました。軌道に乗り、僕がバイトをやめたのは29歳の時(2001年6月)で、今からたった4年半前のことです。そしてその後、SEOに出会います。



