高校を卒業した年には、湾岸戦争が始まり、ソ連は崩壊しました。僕にはまったく関わりのないところで、様々な勢力のせめぎ合いによって世界が大きく動いているという現実が、好奇心を刺激すると同時に、強い無力感となって僕を襲いました。この頃から僕は、好奇心と欲望と環境に流されて過ごす、長い長いモラトリアムを過ごします。その期間はおよそ7年間。宗教と文学とジャズに溺れ、流れる日々が始まります。
人間の本質を理解したい、という欲求が生まれ、僕は宗教の分野にも興味をのばします。宗教や政治思想の理想は、世界のどこにもなくなってしまっているかのように見えるものの、同時代の多くのカルト教団の信者のように、救いを求めてさまよい始めたのです。高校卒業後の僕は、有り余る時間を使って様々な種類の本を読みあさり、様々な団体に出入りしました。特に、時にはカルトと呼ばれることもある新興宗教には、勧誘されるたびにそこに参加しました。
統一教会では、ツーデイズセミナーに勧誘されるまでに自発的に数回通って教義を説明するビデオをほとんどすべて視聴しました。エホバの証人では彼らのやり方による聖書研究を一年以上の期間にわたって続けました。崇教真光も、街中で教化活動に出会った際に初級真光研修会の一日目だけ出席しました。折伏のために突然連絡を取ってきた古い友人に誘われた顕正会でも、地域の青年部長の自宅で法華経を読経するなどしました。しかし、残念ながらどれもピンと来ません。特に、統一教会とエホバの証人の教義はそれぞれユニークで面白かったのですが、それらを信仰するまでには至りませんでした。
様々な宗教に首を突っ込む傍らで、僕は、今思えば思春期ならではの葛藤と潔癖性の反動としてだと思いますが、「悪の華」に代表されるボードレール
や、「堕落論
」に代表される坂口安吾
、「泥棒日記
」に代表されるジャン・ジュネ
、そして「路上
」に代表されるジャック・ケルアック
といった退廃的でありながらも自然体の生き方に憧れ、これらの作家たちの文学作品に惹かれ、強い影響を受けていきます。この頃の僕は、古本屋さんの5冊100円のコーナーにある本であれば何であれ買って読む、という貪欲な状態で、年間300冊以上の本を読み漁っていましたが、上記の作家たちは、その中で出会ったものの中でも僕にとっては特別なものでした。
また、ビ・バップ、クール、ハード・バップ、ファンキーといった1940年代後半から1960年代中盤にかけてのモダン・ジャズにも強く傾倒しました。黒人差別が強く残る時代背景の中で世界を舞台に活躍したジャイアントたちの生き様と、彼らが作り出す音は、鬱屈した僕の感情を解き放つもののように思えたのです。「イン・パーソン」や「ジス・ヒア
」で粘着質でありながらも開放感あふれるピアノを弾いていたボビー・ティモンズ
、「ブリリアント・コーナーズ
」(アルバムはセロニアス・モンク
名義)や「サキソフォン・コロッサス
」で歌うようにテナーサックス吹いたソニー・ロリンズ
、土臭く汗臭い「ワーク・ソング
」のナット・アダレイ
(コルネット)と「シングス・アー・ゲティング・ベター
」のキャノンボール・アダレイ
(アルト・サックス)のアダレイ兄弟(二人の競演は超名盤「マーシー・マーシー・マーシー
」で聴くことができます)などを筆頭に、僕の中にたくさんのアイドルが生まれていきました。
こうした文学や音楽のアイドルたちの影響を受けて、僕の生き方は大きく傾いていきます。アルバイト先を転々とし、この間には、水商売や法から逸脱した仕事、同棲生活、軽度のアルコール中毒、悪徳商法のセールスなども経験します。途中3年間勤めた会社もありましたがリストラに遭い、気がつけば20代も半ばになっていました。手に職はなく、蓄えもなく、将来の希望もありませんでしたが、僕が経験してきたことはすべて芸の肥やしであるような、無駄な人生は歩んでいないような気持ちももっていました。アイドルたちの姿に自分を重ね、現実はよくある転落人生の見本のようなものであるにもかかわらず、根拠のない自信を持っていました。
そして26歳の冬、僕にとっては最大の転機ともいえる事件がありました。自動車事故に巻き込まれたのです。泥酔状態の友人が自爆事故を起こした車に同乗していた僕は、鎖骨骨折と肩胛骨損傷と顎部裂傷を負いました。当時は配送センターの庫内作業のバイトをしていたわけですが、怪我のおかげで休職を余儀なくされます。鎖骨の手術は金具の埋め込みで、再手術を要するものでしたので、職場復帰までは10ヶ月程度を要するとの診断でした。この事故が転機となり、僕のモラトリアムは終わりを告げるのです。



