飛躍的に情報収集能力が高まる中で、高校生以降の僕は「学習する楽しさ」を知り、政治や経済や宗教といった社会のことや、音楽、文学、美術といった芸術のことを学ぶことに傾倒していきます。しかし、それらを学べば学ぶほど、世の中は知れば知るほど複雑で巨大なものになり、自分自身は限りなく矮小なものになっていきます。偉大な世界と矮小な自分の対比が織りなす世界観は、おそらく思春期から青年期にかけての多くの人が持つそれと同じものでしょうが、僕もまた、その世界観に圧倒されていきます。
特にこの時期、行きつけのジャズ喫茶がもたらした環境は僕に大きな影響を及ぼしました。そのジャズ喫茶は西都賀のJOAO(ジョアン)という店で、幅広いジャンルを網羅した本が壁面を埋め尽くし、ジャズを中心に千枚近い数のレコードがあり、父と同年代ながら父とはまったく違う生き方をしてきた大人であるマスターがおり、そのマスターに惹かれて集まる客たちがいて、僕を飽きさせることはありませんでした。さらに、ここでは映画の無料招待券ももらうことができました。これは店にポスターを掲示する謝礼として映画館から配られたもので、これをいつももらっていた僕は、当時公開されたほとんどのメジャー映画を無料で見ることができました。
高校の授業に出るのは卒業のために最低限必要な時間だけになり、ある友人たちとは政治思想や世界情勢についての議論をし、また別の友人たちとは映画についての議論をし、JOAOのマスターからはジャズや文学の手ほどを受け、残った時間で映画を見たり本を読んだり音楽を聴いたりと、世界のダイナミックな動きを感じる中、少しでもそれらを理解しようと、あがき続けました。そして僕のあがきは、同級生たちが受験勉強に集中し始める時期に入ってもなお続いていきます。
僕が高校2年生から3年生にかけての2年間は、まさに世界は激動の中にありました。1988年、ペレストロイカを推し進めるゴルバチョフのソ連はアフガンから撤退し、中東ではイラン・イラク戦争が停戦しました。1989年、日本では昭和天皇の崩御があり、東欧ではポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニアなどの国々で相次いで共産党政権が倒れ、民主化の波が東欧を洗いました。11月にはベルリンの壁の崩壊もありました。その一方で中国では、6月に天安門事件が勃発するものの革命には至らず、民主化勢力が鎮圧される事件もありました。
ソ連のゴルバチョフ書記長によるペレストロイカも佳境に入り、東欧諸国が相次いで民主化するなど、東西冷戦構造の終焉も見えてくる中、民主主義の雄であるアメリカは1987年のブラックマンデーから株価の低迷が続き、ドル安はとどまるところがないかのように見えました。人類の理想といわれた共産主義・社会主義は崩壊し、資本主義・民主主義の雄であるアメリカは不況にあえいでいるという現実の状況は、学校の授業の何倍も何十倍も興味深いことで、僕から受験勉強への興味を奪い去るには十分でした。
また当時日本では、産業構造は円高不況が強まっていたにもかかわらずバブル経済の絶頂にあり、僕が高校3年生だった1989年の末、大納会の12月29日につけた日経平均株価の38,915円が、後になってみればバブル期の最高値となりました。同級生の家でも、NTT株や不動産投機で億万長者になった家もありました。そして何だかわからない熱狂の中で、教員たちの厚意もあってギリギリで何とか高校を卒業した僕は、進学も就労もせず、モラトリアムの期間を過ごすようになります。



