現在位置: メイン > お仕事のこと自分を育てる >

馬鹿になる自由

昨日のことになるのですが、電話でワニ子と話していて、「あなたは相手が誰であってもアホみたいなことを大真面目に尋ねたりして、子供のようだ」というような意味のことを、驚嘆しつつも半ば呆れたように言われました。そこで僕は「馬鹿になる自由が無くなったら面白くないよ」のような言葉を返しました。僕が言った「馬鹿になる自由」という言葉はどこかの本で読んだものなのですが、どの本だったかずっと思い出せずにいました。

で、一日かかって思い出しました。それは「達人のサイエンス—真の自己成長のために」(ジョージ・レナード著)でした。この本は、様々な世界で「達人」と呼ばれる人たちがなぜ、どうやって達人となったのか、その精神や肉体の鍛錬など達人への道について分析、解説された本で、一言で言ってしまえば「プラクティス」の重要性を説いた本です。その最終章のあたりに、「馬鹿になる自由」という言葉がでてきて、僕はすっかりその考えにやられてしまいました。

あなたの両親や同僚あるいは学校や社会が、あなたの人生での学習プロセスにおいて遊び心を持ち、自由に振る舞い、馬鹿になることを許さなかったがために、失敗に終わってしまったことが何かなかったか少し考えてみよう。馬鹿と思われるのではないかというおそれから、新しいことができなかったことがいったい何度あったろうか? 大人げないと思われるのではないかというおそれから、自分の自発性をみずから「検閲」してしまったことがいったい何度あったろうか? 何とも残念なことだ。

(中略)

われわれは友達や自分自身がやった馬鹿なことに眉をひそめるだけでなく、世界的な名声を得た天才の持つ一風変わった面を笑う。そして「馬鹿になる自由」が天才の成功の鍵の一つであって、それは幼児が言葉を覚えるのと同じくらい基本的なことであるとは決して考えない。

もちろんここで言う「馬鹿」というのは「愚か者」という意味ではなく、新しいものを何でも入れることのできる空っぽの状態のことです。空の器のような、子供のような。著者のジョージ・レナードは教育の分野で著名な編集者であると同時に合気道の達人でもあるそうで、随所にスポーツや武道のメタファーを用いながら「達人への道」を解説していくのですが、その重要なメッセージのうちの一つに、「馬鹿になる自由」というのがあったのです。つまり「達人とは永遠の初心者である」と。これは著者の主張の一部分に過ぎず、他にも興味深いところはたくさんあったのですが、この一言は響きました。

「進んで馬鹿になる自由」は、忘れないようにしたいものです。「達人のサイエンス—真の自己成長のために」(ジョージ・レナード著)

 RSSフィードを購読

←直前「温盛りせいろ蕎麦 - ちく満(ちくま)
→直後「運と幸運の違い

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL: