11月9日から11月12日にかけての3泊4日間、仕事で沖縄に行っていました。僕は以前にも少しだけ書いたように、返還直後の沖縄に3年ほど住んでいたことがあります。それから30年ほどの時間が過ぎているのですが、その間に沖縄に上陸したことはなく、30年ぶりの沖縄でした。そこで、幼少の頃の思い出の地を巡ってみようと考えたのです。以前に住んでいたとはいえ幼少のことですし、30年も経っていますから土地勘は失われています。なので、当初はカーナビ付きのレンタカーを利用することを考えましたが、観光の前日の夜になって、沖縄にはレンタルバイクショップがあるということを知り、バイクで巡ることにしました。バイクなら駐車場所を気にする必要がないので、機動力が高いと考えたのです。一度空港に足を運んで荷物をすべてコインロッカーに預け、レンタルバイクショップをi-modeで検索して連絡すると、レンタルバイクショップの人が空港まで迎えにきてくれました。

レンタルバイクショップに行ってみて驚いたのですが、ショップは仕事で10日と11日の2日間にわたる講座を開いた場所のすぐ近くでした。今回僕は、沖縄県主催IT高度人材育成講座で僕が担当していた講座があり、講座開始の前日9日に沖縄入り、講座終了の翌日12日に沖縄から出発、というスケジュールで沖縄に行ってきたのですが、その会場が沖縄県産業支援センターという場所で、レンタルバイクショップはその斜向かいの道を少し入ったところだったのです。あとでバイクを返しに来るときに、周辺の道が少しわかるというのは心強く感じます。ショップの在庫のほとんどはスクーターやクルーザータイプだったのですが、僕は運良くネイキッドタイプのXJR400を借りることができました。しかもカラーリングは青のストロボ。格好いいです。下は僕が借りたXJRですが、レンタルバイクも「わ」ナンバーなんですね。ちなみにヘルメットもレンタルです。

3泊4日の沖縄とはいえ、講座前日の沖縄到着から講座修了日までは終日予定がびっしりで、観光らしい観光はできませんでした。そこで沖縄の最終日、帰りの飛行機の時刻を5時間ほど遅らせて時間を捻出した、というわけです。それほど時間があるわけではないので、レンタルバイクは3時間のコースで借りました。12時30分から15時45分までということで、15分ほどオマケしてもらい、3時間分の料金を支払って出発です。最初に行ったのは、浦添市城間(ぐすくま)。ここはかつて、僕たち家族が沖縄に引っ越してきたとき、最初に住んだ家があった場所です。那覇からは、国道58号線を浦添方面にまっすぐ走るだけで、道に迷うようなことはありません。屋富祖(やふそ)の交差点を過ぎ、一つ目の交差点が城間です。

しかし、周囲の様子はまったく変わってしまっていて、どうがんばっても何も思い出せません。しばらく周辺をウロウロしたり、実家に電話をかけて両親に道を尋ねたりしましたが、結局わからずじまい。両親もつい数年前に訪れているのですが、その際も思い出を喚起するようなものは何も残っていなかったと言っていました。まったくその通りで、あきらめて次の目的地へと向かうことにしました。下は城間交差点の様子です。

次の目的地は、僕が幼稚園時代を過ごした北中城村(きたなかぐすくそん)喜舎場(きしゃば)です。先ほどの国道58号線を北上して宜野湾市(ぎのわんし)に入り、伊佐(いさ)三叉路を右折して県道81号線(普天間でいご通り)に入ります。しばらく進むと普天間(ふてんま)の三叉路が見えてくるのですが、その普天間三叉路を越えたところすぐの左側に「普天間宮」という神社があったので、簡単に参拝し、ついでにトイレも借りました。

そのすぐ隣には普天間山 神宮寺というお寺もあったんですが、普天間宮が賑わいを見せているのに対して、こちらはまったく人の気配がしません。沖縄ではお寺にお参りに行く習慣があまりないとは聞いていましたが、まったくそんな感じでした。

普天間宮を出て、もと来た道をさらに少し進むと、一つ目の信号のある交差点が石平(いしんだ)交差点です。石平交差点には日米の大きな国旗がひるがえっていました。

北中城へはその石平交差点を右折します。ここも先ほどと同じ県道81号線です。左側はキャンプ・フォスターのフェンスが続き、中は外人住宅です。途中には、下の写真のようなゲートが数カ所あります。

キャンプの様子は昔からあまり変わっていないので、いくらか懐かしさを感じます。道路から見ればキャンプはフェンスの中のように見えますが、むしろフェンスの中のほうが広いので、このキャンプの中に住んでいる人たちからすれば、僕たちのいる方が「フェンスの中」という感じなのかもしれません。

県道81号線を走っていると、見覚えのある自動車修理工場が見えてきました。「安里モータース」です。後で母に聞いたところによると、当時うちで乗っていたコロナマーク||(左ハンドル)はここで入手したもので、当時のオーナーの安里さんとうちの父は城間にいたころからの付き合いだったそうで、喜舎場のマンションもこの安里さんがお世話してくれたとのことでした。それで記憶にあったんですね。しかし、残念ながらこの日はお休みのようでした。

そのまま県道81号線を進むと、沖縄自動車道の高架をくぐります。これは30年前には影も形も無かったものですので、違和感があります。高架をくぐると、左手に北中城村役場が見えました。昔住んでいたマンションはもうすぐです。

そしてついに発見しました。幼少の頃に住んでいたマンション。一階部分に入っているお店は変わっていました(昔はナショナルのお店でした)し、外壁の塗装も変わっていましたが、それ以外は30年前の記憶のままです。

階段の途中に窓があります。昔はこの窓のところで外人のオバチャンがクッキーを焼いたりしていて、子供だった僕は時折それをもらっていました。鮮やかに記憶が蘇ってきます。

そして僕たち家族が住んでいた部屋。たぶんここだったはずです。

そうこうしていると、このマンションには屋上があって、オバチャンたちが洗濯物を干したり、オッチャンたちが日光浴をしたりしていたことを思い出しました。何かコンクリの大きなブロックがあって、僕もそこによじ登って遊んだりした記憶があります。行ってみると、屋上にもあっさりと上がることができ、記憶のままの風景でした。

30年前に住んでいた場所が見事にそのまま残っていて、すっかり気をよくした僕は、通っていた幼稚園に行ってみようと思いつきました。その場で母に電話して、幼稚園への道を尋ねましたが、あまり自信のない様子。仕方がないので自分の記憶を頼って行ってみることにしました。記憶をたどりつつ県道81号線を太平洋側へと走っていくと、左手に「北中そば」というお店がありました。時刻はすでに14時近くになっているにもかかわらず、大変な盛況です。僕は遅めの昼食をここで摂ることにしました。

店にはいると、食券の販売機がありました。おすすめは、そのものずばりといったネーミングの「北中そば」と、普通の「ソーキそば」でした。いずれも650円。少し高いように思いましたが、駐車場には「わ」ナンバーの駐車がない繁盛店なので、美味いに違いないと思い、ソーキそばの食券を購入しました。

広い店内でたった一つだけ空いていた席に着き、オバチャンに食券を渡して待ちます。予想通り、店内はどう見ても「うちなー」という風情のご家族連れで賑わっていました。余談ですが、僕が住んでいた頃は、沖縄の人たちは自分たちのことを「ウチナンチュ」、日本人のことを「ヤマトンチュ」と呼んでいたように記憶していますが、現在ではそれぞれ、沖縄の人のことを「うちなー」、日本人のことを「ないちゃー」と呼んでいました。まるで英語のよう。

さて、下の写真が、出されたソーキそばです。ドンブリの表面を覆い尽くすような厚切りのソーキは、スジやナンコツもついたまま煮込まれており、柔らかすぎず固すぎず絶妙な触感。スープも麺もいい具合で、とっても美味しかったです。ぜひまた行きたいと思わせる、いい味でした。問題は、上の写真でもわかるように、ないちゃーが一人で訪れると注目を浴びてしまうことでしょうか。(みんなそんなに見ないでくれよ・・・)

食事を終え、その「北中そば」の周辺の様子を歩いて観察していたら、何とその「北中そば」のすぐ真裏に、僕が通っていた「北中城幼稚園」を発見!

日曜日ということもあって幼稚園は閉まっていましたが、外からじっくり観察しました。まさに、僕が通っていた頃と何も変わっていません。この幼稚園では、僕は園でたった一人だけの「ヤマトンチュ」だったためにひどくいじめられたのですが、そうした記憶も含めて鮮やかにいろいろな思い出が蘇ってきます。下の写真は幼稚園の中庭ですが、その向こうに中城湾が見えます。

この中城湾の風景は、幼稚園の庭の端のほうに行くと大パノラマで見渡すことができ、当時ひどいいじめをうけていた僕は、みんなから離れて一人でこの海を見ていました。

裏のフェンス越しには、幼稚園の中の通路が見えました。下の写真の左下に見える黄色い下駄箱など、当時のままで、なんだか涙が出そうでした。正面奥に青く見えているのが、園内で唯一中城湾を見おろせる場所で、僕のお気に入りだった場所です。

そうこうしているうちに、レンタルバイクを返却しなければならない時間が迫ってきました。この日の観光はここまでです。普通の観光は一切しませんでしたが、僕としては充分に有意義な3時間でした。幼稚園からレンタルバイクショップまでの道のりは約20km弱、バイクを飛ばして帰り、レンタルバイクショップの方に空港に送ってもらって、関空に向けて出発です。飛行機に乗り込むと、那覇空港の向こうの海に、美しい夕日が輝いていました。




