この竜興山 南宗寺は、沢庵宗彭(沢庵和尚)や茶人の武野紹鴎や千利休ゆかりの寺で、堺市内では随一の名刹として知られています。また、徳川家康にまつわる伝説もあり、驚いたことに「徳川家康の墓」と伝えられている場所もあります。

寺域には様々な建物が配置されています。繊細を焼け残った建物もあり、その中の一つが下の写真の「甘露門」です。1647年(正保4年)の建築。

これは鐘楼。明治初年の建築。

拝観料を払って中に入り、順路に沿って進むと、千家一門や武野紹鴎、三好長慶一族らの墓所が続きます。写真は千利休とその一門の墓所。

さらに進むと、古田織部の作と伝えられ、国の名勝地にも指定されている枯山水の石庭があります。

その奥には、千利休ゆかりの茶室「実相庵」、武野紹鴎好みの「六地蔵灯籠」、千利休好みの「向泉寺伝来の袈裟型手水鉢」があります。下の写真は武野紹鴎好みの「六地蔵灯籠」。

下の写真は千利休好みの「向泉寺伝来の袈裟型手水鉢」。

さて、徳川家にまつわるミステリーの中でも特に興味深いのが「家康の死」ですが、その伝承の中には、家康は大坂夏の陣に際して真田幸村(真田信繁)に追われ、後藤又兵衛の槍に刺されてこの南宗寺で死んだ、というものがあります。こんな感じで検索すると、面白い記事がたくさん出てきます。そして、この南宗寺にある徳川家康の墓が下の写真。

近くに寄ってみるとこんな感じです。

さらに、徳川家康の墓石は上で紹介したものですが、この他に「実際に埋まっているとされる塚」もあります。ここは開山堂跡と言われていますが、実は徳川家康が眠っているという伝説もあるそうです。それが下の写真。

ともあれ、順路の回廊に戻って仏殿を目指します。仏殿はこのエントリの冒頭に載せた写真の建物ですが、この内部を拝観できるのです。

仏殿の中には釈迦三尊像などが安置されているのですが、特に目をひくのが天井に描かれた狩野外記信政の筆による「八方睨龍」です。凄い迫力。

そんな感じで巡拝を終えました。ご朱印はこんな感じでした。

霊場紹介
- 名称
- 竜興山 南宗寺
- 宗派
- 臨済宗大徳寺派
- 所在地
- 大阪府堺市南旅篭町東3-112
- 開基
- 大林宗套(普通国師)
- 創建
- 1556年(弘治2年)
- 本尊
- 釈迦如来
- 札所本尊
- 如意輪観音菩薩(和泉西国三十三所観音霊場)
- 御詠歌
- いのごとく さどうきわむる なんしゅうじ ながれのにわに こころしずめて
- 縁起など
- 1526年(大永6年)に京都 大徳寺の住職 古嶽宗亘が堺の草庵を「南宗庵」と改称したのが始まりとも言われています。本格的な開基は、河内飯盛城主・三好長慶(みよしながよし)が父の菩提を弔うため、弘治2年(1556年)東西8町・南北30町という壮大な寺院を現在の宿院の近辺に造営し、大徳寺90世の大林宗套(普通国師)を開山として、創建したといいます。その後、1574年(天正2年)の松永久秀の兵火や、1615年(元和元年)の大坂夏の陣などの兵火で焼失しましたが、その5年後に沢庵宗彭(沢庵和尚)によって現在地に移され、再興しました。茶人の武野紹鴎や千利休などが修行した茶道の精神的な背景でもあります。境内には武野紹鴎の供養塔、千利休一門の供養塔、三好一族の墓所、津田宗及一門の供養塔などの他、徳川家康の墓と伝えられる墓もあります。甘露門、唐門は重要文化財、古田織部の作と伝えられる枯山水庭園は国の名勝に指定されています。
- 加盟霊場
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- 和泉西国三十三所観音霊場 客番札所
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