ユーザーの視点で、ユーザーの立場から使いやすくデザインする、といういわゆる「ユーザーセンタード・デザイン」という概念は、プロダクトデザインや建築デザインなどの分野では昔からよく知られた概念です。より具体的には、ユーザーが直感的に、マニュアルなどを必要とせずに、間違いを起こすことなく確実に利用できるようなデザインを目指す、というようなものです。しかし現実の私たちの周囲には、まだまだ使いにくいものがたくさんあります。例えば「ドア」のように歴史のあるものですら、開け方がわからずに戸惑うような場面に僕たちが遭遇することは珍しいことではありません。ましてやウェブサイトのような歴史の浅いものについては、戸惑うことのない日を探す方が困難なくらいです。
このユーザー・センタード・デザインについて、ほとんど聖書のように扱われている書籍があります。「誰のためのデザイン?—認知科学者のデザイン原論」(D.A.ノーマン著)です。この本は、主に工業製品のデザインについて、間違い(ヒューマン・エラー)が起きる理由や、間違いを起こしにくいデザインをを行う方法などを、認知科学と心理学の観点から読み解いていきます。この本を読むと、「デザイン」がいかにその使用感に影響するか、または使用できるか、できないか、といった根源的な問題にまでデザインが影響していることがわかります。
深刻なところでは、例えば飛行機や原子力発電所の事故。事故が起きると、多くは操縦士や整備士や管制官などのヒューマンエラーが原因だった、といわれます。そして、そのヒューマンエラーの原因の大半は、彼らが重大なサインを見落としたことであったり、誤った操作をしたことであるとされたりします。しかし、彼らが重大なサインを見落としたのは、計器類のデザインがわかりにくいものだったからかもしれませんし、誤操作をしたのは操作系統のデザイン自体が誤操作を招きやすいものだったからかもしれません。彼らは訓練を受け、職務に熟練したプロなのです。エラーは起きるべくして起きたと考えるのは妥当でしょう。
身近なところでは、もう一年も持っている携帯電話の機能のすべてを完全に使いこなすことができない、といったことは当たり前ですし、毎日通っているオフィスの電灯であっても、スイッチボードに並んだそれぞれのスイッチの位置と、天井に並ぶ蛍光灯の位置の対応を完全に把握している人はまず存在しません。筆者によると、これらは解決可能な課題であり、それを解決しないのはメーカーやデザイナーの怠慢であるとした上で、その解決への道筋まで示してくれるのです。
僕たちは(僕はかな?)多くの場合、携帯電話の機能を使いこなせなかったり、コンピューターのアプリケーションの操作がうまくできなかったりしても、それは自分のリテラシーが低いことが原因であって、「デザインが悪い」と思うことはそれほど多くありません。というのも、僕は常々「携帯電話は使いにくい」と感じていますが、僕が携帯電話の機能を使いこなすことができないということについて、メーカーに苦情を申し立てたことはないのです。我慢して使うか、分厚いマニュアルと格闘するなどして、何とか解決しようとしますし、解決できなければ、自分のリテラシーの低さに呆れながら、使うことをあきらめます。
こういう日本人的な、涙ぐましいとさえ思えるほどの奥ゆかしさは、きっと、僕だけではなく、僕が作ったサイトを利用している人たちも持っているのではないかということは、容易に想像がつきます。というのも、僕は「サイトが使いにくい」という苦情をもらったことがないのです。僕が完璧に使いやすいサイトをいつも作っているわけではないことは自明ですから、きっとたくさんのユーザーが、携帯電話を手にしたときの僕のように、自分のインターネットリテラシーの低さをかみしめながら、黙って僕のサイトから去っていっていることでしょう。
僕はこの本を読んで、自分がいかに「奥ゆかしいユーザー」であるかを学びました。そして、その姿勢は問題の探求にとっては障害であり、むしろ「使いにくさにいちいちケチをつけるアメリカ人のようなユーザー」でいるほうが、問題を意識しやすく問題に気付きやすい、ということを学びました。この本を読んでからの僕は「いちいちケチをつける自己中心的なユーザー」になり、問題の起きている理由やそれを解決する方法をいちいち考えるようになりました。いずれは、その成果を自分が作るものにフィードバックできればよいなあ、と考えています。
どんなものも、そのデザインの善し悪しによって、使いやすくも使いにくくもなります。そして、使いやすさは重要な性能の一つです。デザインの問題を発見し、解決したいと願うすべてのデザイナーにお勧めします。「誰のためのデザイン?—認知科学者のデザイン原論」(D.A.ノーマン著)。
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