ブロガーの多くは僕が思ったよりずっと健全

つい先日、「承認欲求や自己顕示欲をあからさまに表出させるのはキモい行為なのではないか」「だとしたらブロガーはそういうことをするキモい自分にどう立ち向かっているのか」という問いかけをしました。結果、ブクマコメント言及エントリ(このリンクじゃ全部は拾えてませんけど)を通じて、数多くの意見をただきました。そして、その意見の多くは、僕にとっては衝撃的なものでした。印象的だったものだけ強引にまとめると、

  • キモいかもしれないがそれも仕方がないと達観する・気にしない(finalvent氏のこれのように)
  • キモさについて自覚的であればよしとする・キモいのは仕方がないこと(Dora氏のこれのように)
  • 自他ともにキモさがあふれかえる図それ自体を楽しめばいい(p_shirokuma氏のこれのように)
  • 別にブログを書くことはキモいことじゃない(木達さんのこれのように)
  • キモい自分がキモいままでいられる場所がブログ(fujipon氏のこれのように)
  • 自分のキモさになんて向き合わずに自由に書けばよい(novtan氏のこれのように)

といった感じでしょうか。この反応を見る限り、反応してくれたブロガー諸氏のほとんどは、まったくキモくないか、または自分がキモいかどうかということについて特段の悩みは持っていないように見えます。ではなぜ、僕は自分の表現行為をキモいと思ったのか。またそのことについて妙な悩みを抱えてしまうのか。その答えに至るヒントは、木達さんの次の言葉にありました。

ブログを書くというプロセスは多くの場合、承認欲求や自己顕示欲を肯定済みであるがゆえに自分のキモさとどう向き合っているかなんていちいち考える必要がないぐらい、自然な行いではないか

覚え書き@kazuhi.to: 友人の結婚とか、改めてブログについてとか

つまり(僕を除く)多くのブロガーは、自分の承認欲求や自己顕示欲を当然のことのように肯定できている。だからこそ、しかたないんじゃないかとか、自分のキモさになんて向き合わずに自由に書けばよいとか、別にキモくも何ともないし、むしろ自然なことだ、というような意見が出てくる、というわけです。これらの意見はすべて、立ち位置や表現は異なっているものの、根底では皆、自分自身の承認欲求や自己顕示欲が明確に肯定された上での意見になっているという部分では共通しています。

その一方で明らかになったことは、僕はどうにもこうにも、自分自身が持っている承認欲求や自己顕示欲との折り合いが悪く、うまく付き合うことができずにいる、ということです。そして、大多数の自分の承認欲求や自己顕示欲を当然のことのように肯定できているブロガーたちの中にあって、それがうまくできない僕は、(少なくともブロガーの中では)少数派に属する、と。そりゃあキモいわけだわ。納得。

と納得してみたところで、じゃあ明日から僕も自信満々に、正々堂々と、一切の迷いなくブログを書きまくりますよ、とはやっぱりいきません。だって、このブログは、一部の悪意ある人々に読まれる可能性があるだけでなく、僕よりも遥かに賢い人々(つまり世の中の大多数の人々)の目にもさらされており、実際に大勢の知人や友人や取引先の人が読んでいて、さらには親兄弟や親戚までもが見ています。そんな場で胸を張って楽しげに踊れるほど、僕の精神は強くありません。そして、こんなことを考えつつも、なおブログを書き続ける僕というのは相変わらずキモい。

しかしまあ、多くのブロガーにとって、ブログを書くということがそうキモいことでないなら、それは喜ばしいことです。なんといっても僕は、ここ一年近くずっと、講演の機会があるたびに「ブログを書こう」と聴衆を煽ってきたからです。ブログは、書かないよりも、書いたほうがいい。そのことには確信を持っていたのですが、しかし、ブログを書くという行為に対する嫌悪感というか、気恥ずかしさのようなものが自分自身の中で拭いきれなくて、ブログを書くことの楽しさや有益性を人に伝える自分の言葉に自信が持てなかったのです。

でも、これからは、他者にブログの良さを伝えていくことについて躊躇しなくて済みそうです。この意味では、かなりすっきりしました。僕の自己肯定感の揺らぎは、あくまでも僕自身の問題でしかなく、大多数の人には無関係であるということは、僕にとっては福音です。呼びかけてみて本当によかった。反応をくれた皆さん、ありがとうございました。

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