個人がその背後に持つ人的ネットワークを駆使し、背後の人的ネットワークを含めて自分のリソースとするようなワーキングスタイルというのは、別にIT技術以前から、というよりも太古の昔から、職人の世界では普通のことだったと思います。ネットワークや通信手段を使って業務を進めたり、ある人が持っているネットワークの質がその人の価値を左右したり、というようなことは、別にIT先端世界だけのものではなく、むしろその価値観自体は昔からあるもので、それをIT先端世界が受け入れた、というように僕には見えます。
例えば、大工さんのネットワークでは、人的ネットワークを駆使し、その時の案件に応じて必要な人と必要な技術と必要な資材を集め、案件を完成に導きます。そこに集まってくる個々の職人さんたちは、それぞれ独立しているか、または2〜3名の小さなグループであり、ネットワーキングによって仕事を成立させているわけです。また、彼らが職人として成長する過程も、「どこの誰」の元でキャリアを積んだのか、「どこの誰」からの仕事を任された経験があるのか、「どこの誰」からの紹介でここにきたのか、といったように、ほとんどが人的ネットワークの産物です。
もし案件の遂行中に問題が発生したり、難題に突き当たった場合には、同業者やそれに関係する他業種の人から知恵を拝借しますし、場合によっては技術とそれを備えた職人その人を拝借することもあるでしょう。彼らはネットワークによって、「誰が問題を解決できるか」ということを知っていて、そのネットワーク自体が彼らの資産であり、親方ともなれば、そのネットワークの質が高くなければ務まりません。しかもこれは、おそらく、かの世界に分業が必要な程度の建築物が生まれた頃からずっと同じようにされてきたと思われ、その歴史は1400年程度はあるのではないかと思います。
ここまでは大工さんの例ですが、同じようにプロジェクト単位で案件が進み、組織の内外との協働が必要な職人の世界では、どこでも同じようなことをやっていたし、今もやっている、ということに過ぎないのではないかと思います。コンサルティングやシステム開発などの仕事も、正味のところ大工さんの延長であって、「職人の仕事」なのでしょう。もちろん、大工さんたが常に最先端の通信手段を使うわけではないかもしれません。しかし、ネットワークをメンテナンスするために何らかの通信手段を使っていることは確実で、それは、その時代の通信技術のなかで、「最も安全確実」なものを選んでいるに過ぎないと思うのです。
最近ブログ上で、こんな議論がありました。まずは、梅田望夫さんがアメリカの大学生のネットワーキングについて驚き、その将来についての予測を語ったもの。
人ひとりの後ろに「Wisdom of Crowds」の個人ネットワーク版がくっついていて、そこに常時アクセス可能な状態で仕事をしていくのが当たり前になり、それで仕事のパフォーマンスが決まってくる時代になれば、その「Wisdom of Crowds」の個人ネットワーク版の質が、個の競争優位の源泉になっていくではないか。
(中略)
そしてそれが、ただ人生を豊かにする友達のネットワークというだけではなく、組織に属しながらもリアルタイムで「外部の知恵」としてそのネットワークを活用しながら仕事をしていくために使われる。一つ前の世代とは感覚が全く違うだけでなく、それがうまくワークしたときのパフォーマンスたるや、我々の想像を超える。
まさに「個のエンパワーメント」である。
My Life Between Silicon Valley and Japan – アメリカの大学生のネットワーキングの凄さ
小飼 弾さんはそれに対し、僕にとってはたいへん興味深い、というよりもほぼ全面的に同意できる内容のエントリを挙げています。
むしろ「アメリカの大学生」と付けているところがまだワカッテないような印象を受ける。
そもそも、大学に行くという事がもしかしたらすでにフルい考えということには思い足らなかったのだろうか?地球村には地に都あらずでも紹介した唐鳳ことAudrey Tangは、大学どころか高校も出ていない(私もそうだけど)。しかし今Perl Communityで彼女の右に出るものはLarry Wall本人ぐらいなのではないか。
彼女はcommunityにおける個人ネットワークを、文字通りネットワークだけで構築したのだ。彼女は見事な英語を話すのだが、それも留学の経験ではなく、映画とIRCで覚えたのだそうである。私が彼女を知ったのはPerl 5.8の開発フェーズだったので、2001年の終わりごろということになるが、まだその時は20歳だったのだ。その頃はまだそれほど目立たなかった彼女がぐんぐんPerl Communityで頭角を現し、そしてPugsで一気にOpen Source界で最もホットな人物になったのは2005年の2月だった。
そして、梅田さんの真意がまとめられます。
僕が今いちばん面白いと感じている事は、IT最先端世界では当たり前だが限定的だった特殊な文化や習慣や発想や考え方が、「物心ついたときにネットの存在は当たり前」として育った世代においては、ハッカーとか技術系のほんの一部の人たちに限らず、ごくごく普通の人たちにまで広く伝播し、そうなったときに社会全体に及ぼすインパクトがおそろしく大きくなる、ということである。マーケティング用語でいえば、IT最先端文化が「キャズム」を超えたとき社会全体に何が起きるのかの思考実験、とでも言うのだろうか。
My Life Between Silicon Valley and Japan – IT最先端文化が一般に広く伝播するインパクト
なるほど、人にはそれぞれの世界観というか社会観があるものだと思いました。僕が最初にネットワーキングの重要性を強く感じる経験をしたのは、料理の世界でした。そこでは、例えばある程度修行を積んだ人間が独立する際には、そこまで培ってきたネットワークが問われます。それは新しい店に雇うことのできる職人であり、仕入れのルートであり、顧客のルートです。修行中の料理人には、自らのスキルを向上させるだけでなく、このようなネットワークを成長させることが必須になります。そして、僕が次にネットワーキングの重要性を経験したのは、冒頭で長々と述べた建築の世界でした。まあ、いずれの世界にも僕はフリーターに限りなく近い形態で参加したものなので、自分自身では、そのようなネットワークを構築する以前に、その前提条件となる自分自身のスキルが乏しく、当然のことならがらそれらの世界で大成することはありませんでしたが。
いずれにしても、「個のエンパワーメント」とか「ネットワーキング」とかいうものが、何かIT先端世界だけのものであり、それが今後一般の社会に浸透していくのではないか、という考え方自体が、このIT業界の欺瞞を象徴しているように思います。何せ、いつからかわからないほどの昔から、こんなことは職人の世界では普通のことだったわけで、コミュニケーション手段には多少の変化があったとしても、構造自体はまったく変化していないように僕には見えるのです。
電話という新しい通信インフラが登場し、職人の世界がどう変わったか。携帯電話が登場し、コミュニケーションがどう変わったか。インターネットがもたらした変化はどうか。いずれも、明らかに何らかの変化はもたらしたと思いますが、どれも表面的なもので、構造までを変化させるには至っていないように、僕には見えます。そして、仕事の有り様や、仕事の進め方などのどこをとっても、僕が生業としている「ウェブ制作」や「コンサルティング」のような仕事というのは、その構造を抽出すれば、大工さんや料理人とそう大きな違いはないようにも思います。
僕が思うに、世界の構造というのは、通信やコミュニケーションの手段が少々変わったとしても、またはそのコミュニケーションの結果生み出される成果物が少々変わったとしても、その中心が人である限りは、そんなに大きな構造上の変化をもたらすようなものではないと思います。考え方は人それぞれですが、僕は最近お気に入りのネットワーク科学から、このような構造主義的な視点をもらい、まあ、こんな風に考えるに至っている、というところです。構造主義はあまり直感的な考え方ではありませんが、だからこそ、無理にでも構造主義的にものごとを捉えることで、新しい視点がもたらされたりして、僕は僕で面白がっていたりします。なお入門には「ネットワーク分析—何が行為を決定するか」(安田 雪 著)が、ネットワーク分析を中心に、それに関連した研究の世界での成果をわかりやすく、網羅的にまとめてあって、素人の僕にも興味深く読めました。もちろんこれは題名の通り構造主義の本ではありませんが、根底に流れる考え方は構造主義のそれであり、とても新鮮な世界観を提示してくれます。
追記:
読み返してみると、またしても批判的な調子になっているようですが、「ネットワークは重要だ」ということには完全に同意していて、ただ、「それは今に始まったことじゃないよ」と言いたいだけでした。なんというか、言葉って難しいですね。
ブログ内の関連する記事
広告
